シリーズ・徒然読書録~中野孝次著『すらすら読める方丈記』

あれもこれも担当の千葉です。

 

読書は好きで、常時本を持ち歩く癖が付いてしまいましたが、読み方は極めて

大雑把、何かしら記憶のどこか、心の片隅にでも蓄積されていれば良いという

思いで雑然と読み流しています。暫くするとその内容どころか読んだことさえ

忘れてしまうことも。その意味で、読者の皆様には退屈でご迷惑かとも恐縮し

つつ、ブログに読書録なるものを記してみるのは自分にとって有益かも知れない

と思い、始めて見ました。皆様のご寛恕を請うところです。

 

徒然なるままに読み散らす本の中から気に入った本、今回は鴨長明の『方丈記』。

といっても、正確には講談社文庫で中野孝次氏著『すらすら読める方丈記』と

記すべきでしょうか。原文の下に現代語訳、一区切りごとに中野氏の解説が入る

という構成になっています。原文の字が大きいのと、原文そのものが名文でわか

り易いためか、判らないところがあれば下の現代語訳を見るくらいで、お題目通

り、原文をすらすらと読めました。

 

古典を原文で読むのは極めて珍しく、教科書で読んだものを除けば、高校生の

頃に読んだ『土佐日記』(紀貫之著)、大学生の頃に読んだ『蜻蛉日記』(藤原

道綱母著)くらいしか記憶がありません。

 

土佐日記は貫之が女性のふりをして書いた日記体で、任地・土佐で亡くなった

愛娘を悼み悲しむ帰任旅行日記。情緒的な主題であり、女性のふりをして

とは言いながら、さすがに男性の書いた文章のためかとても論理的で、高校生

でも判り易い原文だったように覚えています。

 

蜻蛉日記は、女性らしい情愛や嫉妬が主題故に、主語を省いた流れるような情緒

溢れる文体は、これぞ王朝女流文学の典型!とでも言うべきもので、とても素敵

です。同じ頃に読んだ太宰治の『斜陽』の文体に蜻蛉日記を連想させられた覚え

があります。

 

それらと比べると、方丈記には抒情的な側面は殆どなく、非常に客観的・論理的

な内容で、それがすらすらと読める理由の一つかも知れません。また、本文中に

過去や当代の有名な歌や史実を前提とした言葉遣いがなされてはいるものの、歌

自体は殆どないのも読み易さの理由かも知れません。しかし何と言っても、判り

易さ、読み易さの最も大きな理由は、その洗練され、研ぎ澄まされ、何と言って

もリズム感に富む名文にあると思われます。

 

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流れるような名文を幾つかそのまま並べて見ます。

 

『ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶ

うたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中に

ある、人と栖と、またかくのごとし。』 有名な巻頭の書き出しですね。

 

『朝に死に、夕に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。』

 

『知らず、生れ死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る。また、知らず、

仮の宿り、誰が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その主と

栖と、無常を争うさま、いはば朝顔の露に異ならず。或いは露落ちて、花残

れり。残るといへども、朝日に枯れぬ。或いは花しぼみて、露なほ消えず。

消えずといへども、夕を待つ事なし。』

 

『春は、藤波を見る。紫雲のごとくして、西方に匂ふ。夏は、郭公を聞く。

語らうごとに、死出の山路を契る。秋は、ひぐらしの声、耳に満てり。うつ

せみの世を悲しむかと聞こゆ。冬は、雪をあはれぶ。積もり消ゆるさま、

罪障にたとへつべし。』

 

『魚は、水に飽かず。魚にあらざれば、その心を知らず。鳥は、林を願ふ。

鳥にあらざれば、その心を知らず。閑居の気味も、また同じ。住まずして、

誰かさとらん。』

 

鴨長明は、鴨社の跡目争いから排斥され、歌曲の才を取り立てて戴いた処遇

をも放り投げ、終には山里の方丈(およそ3メートル四方)に閉じこもるので

すが、方丈記にはその過程で住居がどんどん小さくなる様が描かれており、

方丈記が一面では住居哲学とも言われている所以です。

 

また、あまりにも有名な冒頭の文章の印象が強く、方丈記は無常論の書との

印象を持っていましたが、あに図らんや、自らの望むことを自らの好む時に

だけして暮らす、数寄の道を究めた終着点が方丈であり、数寄者の数寄を究

めた人生哲学の書でありました。そんな長明の考えが明らかにされる文章を

上げて見ます。

 

『いきほひあるものは貪欲ふかく、独身なるものは、人にかろめらる。財あれ

ば、おそれ多く、貧しければ、うらみ切なり。人を頼めば、身、他の有なり。

人をはぐくめば、心、恩愛につかはる。世にしたがへば、身、くるし。したが

はねば、狂せるに似たり。いづれの所を占めて、いかなる業をしてか、しばし

もこの身を宿し、たまゆらも心を休むべき。』

 

これを読んで私は漱石の『草枕』の冒頭の名文を想起しました。

『山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。

意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安

い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、

画が出来る。』

 

 

尚、方丈記は、その客観的な記述態度から、12世紀後半から13世紀初頭(平家の

興隆から鎌倉幕府初期)に起こった天災(大火、竜巻、飢饉、地震)や政変(遷都、

還都)を取り上げているため、歴史を検証する上でも貴重な文書だそうです。