スタッフブログ すずのね

『日本の家』展~1945年を境として

あれもこれも担当の千葉です。

 

 

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先日、お上りさんをして、『日本の家~1945年以降の建築と暮らし』展を

見て来ました。戦後の日本の住宅の諸潮流が、『日本的なるもの』、『芸術性』、

『解放性』、『遊戯性』、『脱市場経済』など幾つかのテーマに分けて展示され

ていました。

 

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草分けとも言うべき、A,レーモンド氏や丹下健三氏の写真、スケッチ、展開図

などの貴重な資料が興味深かったです。

 

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また、閉ざされた空間を作らない清家清氏の作品が原寸で再現されていたり、

 

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建築モデル・模型が沢山展示されていて楽しめました。

 

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前職の頃、外国人のお客様をご案内した深川江戸資料館や江戸東京博物館で、

江戸時代の民家を実物大で再現したものを見た時に強い既視感を感じたこと

を思い出しました。三和土から上がった時、『ああ、座敷の向こうは縁側で、

縁側が鍵型に曲がった先が雪隠で、、、』と初めて来たにもかかわらず間取り

をピタリと言い当てたのは、大正時代に建てられた私の実家と同じだったから

でした。

 

日本の家屋の様式は、おそらく江戸の中期・末期から明治・大正・昭和初期

に至るまでは大きく変わってはおらず、終戦後1945年が分水嶺となって、

現在のような様式に移り変わって来たのだろうなぁ、と感じさせられた展示

でもありました。

 

10月29日(日)まで、竹橋の東京国立近代美術館にて開催されています。

 

 

 

 

 

 


柔らぐ木漏れ日~秋の気配

あれもこれも担当の千葉です。

 

 

オフコースの名曲、『秋の気配』の舞台は、港が見下ろせる小さな公園ですが、

先日、三嶋大社の北参道でも『秋の気配』にゆき逢いました。

 

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足下の陽光のダンスに振り仰いでみれば、

 

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木漏れ日も心なしか和らいでいて、夏のそれとは異なって見えました。

 

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我が家の秋の使者、栗の実は、8月の涼しさ故か今年は例年に比べてだいぶ

遅くなっています。

 

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初物をお仏壇にお供えして、もう少し溜めて栗ごはんですね!

 


別腹は明日の脇腹?

あれもこれも担当の千葉です。

 

 

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あー、たくさん食べたね、美味しかった~!

と、いいながら満腹のお腹にもデザートはすぅ~っと入ってしまいます。

 

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こんな楽しい工夫がされたりしていると、楽しいね、素敵だね、と会話が

弾むついでにデザートはあっという間に平らげられてしまいます。

 

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先日も、『別腹は明日の脇腹よ~!』と妻に諭されながらも、『可愛い

おデブさんを目指すからいい!』と、ついつい完食!

 

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(少し古い写真ですが)

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とりわけそれが、サプライズ・プレートだったりしたら、嬉しさのあまり

『脇腹』のことなんて吹っ飛んでしまいますよね。

 


ジャコメッ『ティ―』?

あれもこれも担当の千葉です。

 

 

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先日、国立新美術館で開催中の『ジャコメッティ展』を覗いて来ました。

 

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ご存知、針金のように細く引き伸ばされた人物像で有名なスイス生まれの

ジャコメッティは、サルトルにも絶賛された実存主義の旗手たる彫刻家と

言われていますが、そこに到達するまでに長い苦悶の道のりがあったこと

に驚きました。

 

 

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ブラックやピカソが時代の寵児として喝采を浴びるパリで、ジャコメッティ

もキュビズムやシュールレアリズムの大波の中に身を投じますが納得の行く

ものに辿り着けず、モデルを使ったレアリズムに道を見い出そうとしたり、

モデルを使わず記憶だけに頼ったシュールレアリズムに振れたり、やがて再

びモデルを使った制作に戻る頃には、とうとうほんの数センチほどの彫像し

か制作できなくなってしまっていた、という時期もあったということです。

 

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(向こう側に鑑賞している人が見えるので、その作品の小ささが判ります)

 

 

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会場出口のショップでユーモアたっぷりの商品を発見しました。その名も

『ジャコメッ〈ティ―〉』。静岡県の安倍川上流域で採れた茶葉から作った

和紅茶だそうです。〈お茶〉目なネーミングですね。

 

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ジャコメッティ展、9月4日(月)まで、あと10日ほど開催されています。

 


シリーズ・徒然読書録~『プノンペンの奇跡』

あれもこれも担当の千葉です。

 

読書は好きで、常時本を持ち歩く癖が付いてしまいましたが、読み方は極めて

大雑把、何かしらからだのどこかに蓄積されていれば良いという思いで、雑然

と読み流します。その意味で、読者の皆様には退屈でご迷惑かとも恐縮しつつ、

ブログに読書録なるものを記してみるのは自分にとって有益かも知れないと思い、

始めてみました。皆様のご寛恕を請うところです。

 

徒然なるままに読み散らす本の中から今回取り上げるのは、『プノンペンの奇跡』。

JICA中部国際センター所長の鈴木康次郎氏とJICA客員専門員の桑島京子氏の共著

(佐伯印刷株式会社出版事業部刊)。副題に『世界を驚かせたカンボジアの水道

改革』とあるように、長く内戦に苦しんだカンボジアの首都プノンペンで、水道

管の不法接続や盗水が横行し、水道公社が腐敗と汚職の温床だった90年代に、わ

ずか15年の間に安全な水を市民に届け、日本にも劣らない高いレベルのサービス

を提供するまでに成長した奇跡の背後にあったものは何かを記したドキュメン

タリーです。

 

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『1993年当時のプノンペンでは、市街地の20%程度にしか水道が普及して

いなかった。それも、一日10時間程度の給水だった。水が来ないため、市民た

ちは自主的に市道の配水管に穴を空け、地下に受水ピットを設け、かろうじて水

を利用する状態であった。・・・職員のモラルは低く、幹部職員みずからが、不

正な水の販売や給水管の接続を手掛けるような腐敗の温床と化していた。・・・

それが10年のうちに劇的に改善された。貧困スラムを含む市街地全域に拡大し、

毎日24時間、安全な水道水として供給できるようになったのである。しかも、

漏水や盗水などのために膨れ上がっていた無収水率は、72%から20%に激

減し、13年後には8%へ、そして18年後の2011年には6%へと大幅に削減され、

健全な経営水準を達成した。これは日本を含む先進国と比べても極めて優れた

水準にある。・・・ロンドンの26.5%、トリノの25%、マドリードの10.5%

よりはるかに低い。東京の2.8%には及ばないものの、パリの5%やベルリンの

5%と同水準に至っている。アジアの殆どの都市水道事業体の無収水率が、現在

でも50%前後で推移している中、6%という数字は実に驚異的なものである。』

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これらを可能にしたのは、悪しき故習を排し、能力のある若手を登用し、活躍

させるエク・ソンチャンという優れた人物のリーダーシップのみではなく、そ

れを支えたカンボジアという国の政治判断や政策、そして日本の協力・支援や、

世銀など国際機関の協力があったからだそうです。日本からは、とりわけJICAの

マスタープラン・長期整備計画がこの大事業の道しるべとなり、それに沿った

資金提供と、北九州市の職員・技術者の献身的な技術指導、テレメーター・

システムの供与があり、これらが飛躍的発展には欠かすことができなかった

ということです。

 

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ドラマ化もされた沢井鯨氏の小説、P.I.P.(プリズナー・イン・プノンペン)で

想像していたような、不幸な内戦状態が長く続いた、無法地帯のイメージとは

かけ離れた成功譚に、カンボジアという国の歴史に興味をもちました。しかし、

内戦の頃に限らず、なかなかカンボジアの歴史を記した本と言うのは少ないの

ですね。その中で、今川幸雄氏訳・著『アンコール遺跡とカンボジアの歴史』

は貴重でした。また今ではネットでかなりの概略は掴めるようになったのも

便利ですね。

 

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今川氏の著作とネットで得た情報をメモ書きしたものが手元にあります。それを

書き写して終わりにします。

 

紀元前後よりインド文化の影響・・・サンスクリット文字、バラモン教(古代

ヒンズー教)と大乗仏教(現在は小乗仏教)、アンコール・ワットもバラモン教

と大乗仏教。

3世紀頃より中国に朝貢・扶南王国、インドからの侵攻にも抵抗。

6世紀にカンプチア王国(真臘王国)の名称、しかしじきに7世紀にはジャワ王国

の属国化。

ついに9世紀、アンコール王朝(クメール王朝)。12世紀アンコール・ワット、

アンコール・トム建設。

13世紀の元(モンゴル)の侵攻、シャム(アユタヤ朝)の侵攻により首都を

転々と変更。

14世紀に小乗仏教へ。これより長くシャム・タイやチャム・ベトナムの勢力下・

影響下に。

19世紀、フランスの保護条約国に。日本軍の進駐を許しフランスを排除。

第二次大戦後、1945年にシアヌーク王が独立宣言、1953年にフランスから実質

独立回復。

1970年、ベトナム戦争下、親米のロン・ノルがクーデター

1975年、共産主義クメール・ルージュのポル・ポトによる恐怖政治

1978年、ベトナム系プノンペン政権 フンセン

1993年、シアヌーク王再即位