2020.10.19

三島市東町分譲地

 

住宅担当の花崎です

 

 

三島市東町の分譲地のご案内です。

 

三島駅南口まで徒歩で22分、周辺環境も整った好立地の物件です。

 

全3区画で販売を開始いたしました。

 

なお、10月24(土)・25(日)の2日間

 

現地にて販売会を開催いたします。

 

現地での確認をご希望される方、ご来場をお待ちしております。

 

(添付ファイルをご覧ください)

 

東町分譲地販売会

 
2020.10.16

シリーズ・徒然読書録~山根京子著『わさびの日本史』

あれもこれも担当の千葉です。

 

 

読書は好きで、常時本を持ち歩く癖が付いてしまいましたが、読み方は極めて大雑把、何かしら記憶のどこか、心の片隅にでも蓄積されていれば良いという思いで雑然と読み流しています。暫くするとその内容どころか読んだことさえ忘れてしまうことも。その意味で、読者の皆様には退屈でご迷惑かとも恐縮しつつ、ブログに読書録なるものを記してみるのは自分にとって有益であるかも知れないと思い、始めてみました。皆様のご寛恕を請うところです。

 

徒然なるままに読み散らす本の中から今回取り上げるのは、山根京子著『わさびの日本史』(文一総合出版)です。わさびの原種が、人間によって特別な植物として『栽培ワサビ』となる経緯を、日本全国(時に中国本土の山奥まで)300箇所を訪ね歩き、DNA分析と史料に刻まれた記録を検証することで解明しようと試みた、簡易でありながらかなりの力作です。図書館の新刊本コーナーで見掛け、静岡県伊豆の住人としては見過ごす訳にいかず手に取ってみました。

 



 

本書の内容を掻い摘んでみましょう。

 

アブラナ科ワサビ族は約30種、大半が中国に自生しています。DNA分析によれば、ワサビは人類が日本列島に住みつく以前に渡来して、氷河期を生き延びたもの。凡そ100万年前、複数のワサビが大陸のワサビ族から分岐して渡来したと考えられます。渡来したワサビは日本海側を中心に分布し、多雪地帯に適応して進化したと考えられています。

中国雲南省に自生するシュンサイと呼ばれるワサビは、日本のワサビと見た目はソックリですが、全く辛みがなく、ゲノム分析でも異種と判明。日本のワサビだけが辛いとのこと。

からし(薩摩、三重)、しゃんしょのき(島根)、せんの(秋田)、ひの(青森、秋田)ふしべ(秋田)、ふすべ(秋田)、わさびな(京都)。ワサビの呼び名の方言は極端に少ない。これは山椒や生姜にも共通し、香辛料は用途が限定され多様性が生まれ難いからではないか。

ワサビの最も古い記述は飛鳥時代(660年前後、天武天皇前後)の木簡や大宝律令(701年)、播磨の国風土記(710年頃)に、恐らく薬草として『委佐俾』『薑(はじかみ)』の名で登場。本草和名(917年)で初めて『山葵』の字が登場します。産地(自生採取)として、若狭、越前、丹後、但馬、因幡、飛騨(延喜式927年)が記されています。

食用(香辛料)としての初めての記述は倭名類聚集(10,11世紀、平安中期)。

しかし古事記(712年)、日本書紀(720年)、万葉集(790年頃)から古今和歌集(910年頃)までの多くの史料には記述がありません。これは、恐らく自生している山麓の住民にしか馴染みのないものであったからだと考えられます。

この後には、厨事類記(平安末期~鎌倉末期)に料理での使用法として初めての記述(汁ものの実としてが主流)が、鈴鹿家記(14世紀)に初めて刺身と並んでのワサビの記述、四条流庖丁書(15世紀)に『わさび酢』の記述があります。日本食の料理法は江戸時代に急速に変化しますが、食材は殆どが室町時代に出揃っていることを考えると、鎌倉時代後期から南北朝時代に、刺身とワサビの食文化が始まったと考えられます。

しかし、『刺身とわさび醤油』の浸透は、江戸時代中期(19世紀初頭)の醤油の低価格化による庶民への浸透まで待たねばなりませんでした。それまでは、料理物語(1643年)、料理献立集(1672年)などによれば、香辛料としては山椒、生姜が主流で、刺身にはワサビよりもショウガが一般的。また、ワサビは『わさび酢』として、生魚よりも、貝類や鳥類に(生魚も赤身ではなく白身魚に)合わせて用いられていました。ようやく料理分類伊呂波包丁(1733年)になると、すりおろしワサビが一般化し、香辛料の中でもワサビが躍進をすることになります。そして19世紀初頭、醤油の低価格化による庶民への浸透、それまで下魚とされてきたマグロの消費拡大、伊豆でのワサビ栽培による供給増加が重なり合い、江戸でのワサビ醤油文化が定着することになったのです。

 



(江川坦庵が書いたといわれる山葵の絵、『山葵からくばあやまるに』)

 

それではワサビはいつどこで人の手によって『栽培』されるようになったのか。そしてなぜ伊豆半島で江戸の消費を支えるような大規模な『栽培』がなされるようになったのか。

著者は、山葵栽培の起源地としては静岡県中部の有東木が有力としています。DNA分析では、有東木の栽培種『だるま系』の野生種祖先種は山梨県、群馬県、長野県にまで絞り込めました。有東木の集落は武田家の一族が入植していたこと、静岡県側には野生種がないことから、恐らく山梨県側から自生種が持ち込まれたのではないかと推測しています。

そして徳川家康との運命的な出会い。大御所として駿府入城後に有東木の山葵を知った家康が、家紋の葵と葉がよく似た山葵を珍重、有東木から門外不出としたとされています。朝鮮通信使の駿府饗応献立にワサビの記録があり、その接待人数からしても自生ではなく栽培されていたことが裏付けられるといいます。そして家康の死後には前述の如く、史料にワサビの記述が頻繁に登場することになります。

そして伊豆湯ヶ島の板垣勘四郎が1744年に有東木に派遣され、しいたけ栽培を教え、その代わりにワサビ栽培を教わり、伊豆に持ち帰ったと言われています。1801年には幕府の許可も下りてはいますが、当初家康公によって門外不出とされた有東木のワサビが持ち出せたのには、有東木の娘との恋物語など諸説がありますが、著者は有東木の望月家も湯ヶ島の板垣家も共に旧武田家の流れであることにヒントがあると見ています。1805年には既に175軒の栽培農家があったとの記述もあり、江戸での一大消費ブームを支えることとなります。

伊豆にはワサビ栽培に適した要素が沢山あります。日本有数の降水量を誇る天城の豊富な水、その水を涵養する地質環境(水はけのよい噴火堆積物)、天領のため留木制度(許可ない伐採を禁止)による保護があったと著者は記しています。

筏場のわさび田で山葵の栽培をしていた亡き友人に聞いた話ですが、山葵は直射日光に弱く、南斜面は向いていない。狩野川が太平洋側では唯一の北に流れる一級河川であるように、天城は北斜面でかつ豊富な流水に恵まれているのでワサビ栽培には適しているのだと。山葵狩りをしながら夭折した友人に教えてもらった懐かしい思い出です。

中伊豆大見にも享保年間(1716~1736年)にわさび田流出、宝暦年間(1751~1763年)には特産品としての出荷の記録があります(地蔵堂最寄り)。これに関して著者は、DNA的には有東木のだるま系であり、大規模な栽培としては、大見口での栽培は狩野口での栽培より遅れる、と書いていますが、ここはいまいちスッキリしていません。が、どちらにせよ背中合わせの地域で、伊豆市であることに変わりはありませんね。

 

江戸など関東では一世を風靡したワサビ醤油文化ですが、更に、関東大震災と戦後(1947年)の飲食営業緊急措置令によって握りずしが全国に広まったのに合わせてワサビも広まることとなります。そして全国津々浦々にワサビが定着するのにとても大きな役割を果たしたのが、粉わさび(1939年代~)と練りわさび(1970年代~)の開発でした。大規模な栽培といっても、もともと栽培が難しく、収穫までに年数が掛かり、温度乾燥に弱く、揮発性の辛味のためにその場でその都度すり下ろす必要がある生わさびでは賄えない量が供給できることとなった訳です。

日本で現在栽培されているワサビの品種は主に3つ。だるま系、島根3号系、真妻系(私が伊豆産でよく手にするのはこの真妻種です)。ところが北陸、白山麓のワサビはどれにも当てはまらないもので、江戸時代には塗り薬として少量栽培されていました。もちワサビと言われるように、すり下ろすと粘りが強く、香りが突出して強いものもあるそうです。

韓国の香辛料はトウガラシ、なぜ日本はワサビなのか。著者の分析はこうです。韓国が肉食文化で日本が魚食文化だからではないか。日本で肉の消費量が初めて上回ったのは2006年で、それまで長い間水産物の消費量の方が多かった。また、川魚のように香辛料が臭みを消すために使われることもあるが、日本の香辛料は臭みを消すよりも、食欲を刺激し増進する役割が多く、素材の味を活かす調理法が多いからだと。

 

2013年に日本食が世界文化遺産に、2018年には静岡水わさびの伝統栽培が世界農業遺産に認定されており、世界に対して改めてワサビが発信されました。しかし最後に著者はワサビの未来について懸念を表しています。

自生種は鹿などの食害や開発などで減る一方です。栽培種についても、日本人の肉食化傾向や若い人たちのワサビ体験の減少傾向が挙げられています。今は握り寿司も回転ずし。回転ずしでは子供向けに『サビ抜き』になっています。

ワサビの嗜好は、美味しいと感じた体験によってもたらされます。ぜひワサビの食体験を増やしましょう!

 

 
2020.10.10

暮らしの変化

法人営業部の横山です

 

以前は5人で住んでいた家も

一人は就職して他県へ(もう戻らない)

一人は療養型の病院へ

そして一人は来月結婚するそうだ(もう家をでている)

そして家内と二人になった

いつかこの日がくるとは思っていたが

実際になってみると寂しい(子どもの成長はうれしいが)

家が広くなっちゃったな~

同じような家庭が多いんだろうな

新築の住宅は将来の住まい方も考えてのご提案が必要と改めて思う

二人用の家に建て替えるか

リフォームするか

家を賃貸にして外で暮らすか

 

まずは家内と仲良く暮らそう

 

 

 

 

 

 
2020.10.08

シリーズ・徒然読書録~凪良ゆう著『流浪の月』

あれもこれも担当の千葉です。

 

 

読書は好きで、常時本を持ち歩く癖が付いてしまいましたが、読み方は極めて大雑把、何かしら記憶のどこか、心の片隅にでも蓄積されていれば良いという思いで雑然と読み流しています。暫くするとその内容どころか読んだことさえ忘れてしまうことも。その意味で、読者の皆様には退屈でご迷惑かとも恐縮しつつ、ブログに読書録なるものを記してみるのは自分にとって有益かも知れないと思い、始めてみました。皆様のご寛恕を請うところです。

 

徒然なるままに読み散らす本の中から今回取り上げるのは、私にしては少し毛色の異なった作品です。凪良ゆう(なぎらゆう)著『流浪の月』(東京創元社刊)。2020年の本屋大賞の受賞作。新聞広告で知り図書館で借り出して読んでみました。

 

 



 

常識に捕らわれることなく天真爛漫に育ったヒロインの更紗は、小学生の頃に伯母の家に引き取られ、価値観の違いと従兄弟の悪戯に行き場のない悩みを抱え死にたいと思っていた。そんな時公園で出会った父親似の大学生・佐伯文に自分からついて行く。更紗には文が生きる一筋の希望に見えた。

ふた月後に通報され保護されるが、二人には世間の烙印、特にネット上での『デジタル・タトゥー』という消しようのない烙印が押されることになる。本当は大人の性を持ちえない文は、表面的に児童性愛者とのレッテルを貼られてしまう。

15年後に再び巡り合い一緒に暮らし始める二人は、生きるためにお互いを切実に必要としていることを自覚し、二人で静かに生きようとするが、デジタル・タトゥーを背負った二人を世間はどこまでも追いかけ呪縛し続ける。

 

多作な作家で若い読者を意識してきたためか、語彙・文章は極めて平凡ではありながら、登場人物の感情の起伏を細やかに丁寧に拾って行くところが美点と感じました。また、世間・社会の中で痛みに耐えひっそりと生きて行かざるを得ない弱き者たちへの優しい視線を感じました。

 

最後に、幾つか心に留まった文章を拾っておきます。

『甘さとしょっぱさのように、怠惰と勤勉は交互に行うのがよい。』

『他人を痛めつけるくせに、自分の痛みにはてんで弱い。』

『白い目というものは、被害者にも向けられるのだと知ったときは愕然とした。いたわりや気配りという善意の形で『傷ものにされたかわいそうな女の子』というスタンプを、わたしの頭から爪先までべたべたと押してくる。みんな、自分を優しいと思っている・・・私に残された手段は、反応しないことだった。哀れみも、善意も、常に静かに微笑んで受け流す。』

『今の時期、何も珍しいことじゃない。人が殺される場面ですら、検索すれば簡単に見ることができる。・・・善良な人たちの好奇心を満たすために、どんな悲劇も骨までしゃぶりつくされる。』

『わたしを知らない人が、わたしの心を勝手に分析し、当て推量をする。そうして当のわたし自身がわたしを疑いだし、少しずつ自分が何者なのかわからなくなっていった。』

『世界はどうしようもないことにあふれているから、理不尽さに憤っても消耗するだけだ。だから深く考えないよう気持ちを薄くしてやり過ごすしかない。』

『つまらない理由だ。けれど、つまらないものの集合体が日常だ。』

『事実と真実の間には、月と地球ほどの隔たりがある。その距離を言葉で埋められる気がしない。・・・ちがう、そうじゃない。わたしは、あなたたちから自由になりたい。中途半端な理解と優しさで、わたしをがんじがらめにする、あなたたちから自由になりたいのだ。』

『不安で醗酵した心の奥底から、気泡のように母親の言葉が浮かび上がってくる。澱んだ水面に浮かび上がり、ぱちんと弾けるたびにその言葉は悪臭を発し、僕は吐き気をこらえなければいけなかった。』

『目に見えなくて、どこにあるかもわからなくて、自分でもどうしようもない場所についた傷の治し方を考えた。まったく傷まない日もあれば、うずくまりたいほど痛む日もある。痛みに振り回されて、うまくいっていたことまで駄目になる。唯一の救いは、そんな人は結構いるということだ。口にも態度にも出さないだけで、吹きさらしのまま雨も日照りも身に受けて、それでもまだしばらくは大丈夫だろうと、確証もなくぼんやりと自分を励まして生きている。そんな人があちこちにひそんでいると思う。』

『ぼくは言葉にならない気持ちに胸を占領された。苦しいほどのそれを逃すために、なにもない宙へと小さく息を吐く。』

 
2020.09.28

リフォームローン金利ゼロ キャンペーン

リフォームの三須です。

この度、本年9月末日までの期間で実施しておりました、

『リフォームローン金利ゼロ キャンペーン』ですが、

ご好評につき本年12月末日まで、期間延長する事となりました‼



住まいの維持管理には定期的なメンテナンスは欠かせません。

また、設備や什器などの老朽化により、取り替えるにしても資金が必要です。

しかしながら、リフォーム資金を貯金しようにも、

昨今の低金利では、なかなか貯まらないのが実情かと存じます。

そこで、弊社 鈴木工務店では、5年払い(60回)を上限に、

リフォーム資金を無金利でお貸し致します。

「お金が貯まったら」から「貯めずに無金利で」をおすすめ致します。

この機会に是非共ご検討賜ります様お願い申し上げます。
2020.09.23

高性能バリアフリー住宅③

住まい担当の大木です。

 

前回に引き続き 住宅内の二大事故要因である段差による

転倒事故およびヒートショックによる健康被害に対応した

建物に関するブログの第三弾です。

 

前回の投稿で基礎を高くして敷地と1階の床の高さを調整して

本当のバリヤフリー住宅を施工中ですとの報告をさせて頂きました

(前回は基礎工事までの報告でした。)

今回はその後の工事に関しての、特にヒートショック対策に関しての

報告をさせて頂きます。

基礎が出来ましたら 土台、1階の床の工事となりますが高性能住宅は

その前に大事な工程があります。それは 基礎断熱の工事です。

通常の木造住宅は1階の床下に断熱材を施しますが高性能住宅は基礎自体を

断熱します。かなり手間の掛かる工事ですが、これにより1階の床の下も居室

と同じような環境になり、1階の床が冷たくなりにくくなります。



 

その後上棟となります。



 

上棟後、建物本体の断熱工事となります。



高い性能を持つ建材を壁にはパネルとして、屋根には吹付工事により

施工します。写真ではわかりませんが、ここでも通常の住宅よりも

一手間かけます。それは気密処理を丁寧に行う事です。部材間で発生する

小さな隙間にも気密処理を行います。そしてその後、実際にこの建物の外部との

隙間に関しての測定を行います。試験で例えるなら中間検査ですね

次回はその様子をお伝えします。
2020.09.22

とうざ

 

花崎です

 

 

先月の事ですが、

 

沼津の「 とうざ 」さんで妻と食事をしてきました。

 



 



 



 



 



 



 



 



 



 

季節を感じられるお料理と、

 

丁寧なお仕事が大好きです。

 

ご馳走様でした。

 

 
2020.09.16

雨が少なくて枯れた?

 

リフォーム部の鈴木です。

最近、山間部を走っていると写真のような光景を

目にします。

「雨が少なくて枯れた?」

8月の少雨でそんな感じを受けてしまうのですが、実はこれ

「ナラ枯れ」と言って、近年、ナラ・カシ・シイ類の

樹木が枯死する現象で、各地に被害が出ているいるようです。

原因は、「カシノナガキクイムシ」という虫が樹木に穴を

開けて侵入し、体に付着した通称「ナラ菌」を樹木に感染

させ、菌が増殖することで、水を吸い上げる機能を阻害して

枯死させる伝染病とのことです。

「松枯れ」は知っていましたが「ナラ枯れ」というものが

有ることを初めて知った次第です。

 

 
2020.09.16

家族の願いを込めて

こんにちは。柗尾です。

先日、O様邸におきまして、上棟をいたしました。

大工さんが雨の合間の日に建て方をし、木造の骨組みが立ち上り、すぐに雨養生。

無事に雨にさらされることなく、建物の形ができてきました。

そこでお施主様に記念の一言を柱に書いていただきました。



その中に、東京で働く娘さんからいただいたメッセージを奥様が代筆していました。

この新コロナ渦の中、帰省することができないので、Lineで送ってもらったものでした。

ご両親への感謝、夢であった新居を楽しみにしていることがつづられていました。

ご家族のそれぞれの思いが刻まれ、これから長きにわたり、その思いと共に暮らしていけますよう

新ためて、無事に完成して引き渡しが終わるまで、大切に造っていきたいと思いました。
2020.09.16

我が母校

 時代遅れの堤です。

 

 こんにちは!

 

 過日、我が母校の前を通ったところ正門の校舎二階窓ガラスにコロナ関係のメッセージが張り出されておりました。

 

 「コロナと闘う人々に感謝と敬意を!」と校訓の「不撓」です。

 

 正式な校訓は確か「不撓不屈」だったと思います。

 

 何か、メッセージを見た時とっても誇らしげに感じました。

 

 暫し、高校生時代の思い出が沸々と湧いてきました。

 

 メッセージを張り出した先生方、ご苦労様でした。

 

 皆様もコロナに負けず頑張りましょう。