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2017.06.01
ハルシャ展とミュシャ展
あれもこれも担当の千葉です。
結構長い開催期間で、だいぶ前に行ったにもかかわらず、わざわざ
残り僅かになってのお知らせとは、全く以て如何なものかと失礼を
お詫びせねばなりません。
共に六本木にある、森美術館でのN.S.ハルシャ展と国立新美術館での
ミュシャ展。
N.S.ハルシャは1969年、南インドで生まれた現代アートの旗手。初めて
聞いた名前でしたし(お目当てのマリー・アントワネット展が長蛇の列なの
で諦めて同じビル内のこちらに来たのです)、自分より一回りも若いアーテ
ィストであることにもビックリ。
大きなキャンバスからは、心地良いリズムが溢れだしていました。インド
ならではの多様性と時間の連続性・悠久さを連想しました。
最近の展示は、カメラ撮影が許されているものが増えて来ました。この
ハルシャ展も撮影可。そのために、キャンバスの大きさと、一風変わった
展示の面白さをお届けすることができます。
(キャンバスの上方の壁には直接絵が描かれています)
続いてはマスコミで多く取り上げられたミュシャ展。
パリで華やかで耽美・妖艶な作風のポスター画家として大活躍していた頃の
作品は知っていましたが、故国チェコに戻ってからの画業については、今回
の展示があって初めて知りました。
ミュシャ(1860~1939)が生まれパリで成功を収めた頃の故国
チェコは、ハプスブルク家のオーストリアに併合されていました。50歳
を過ぎて故国に戻ったミュシャの絵の対象と作風は、祖国チェコの民衆を
鼓舞するものに一転します。オーストリアのくび木を逃れて一旦はチェコ
スロバキアとして独立するも、間もなくナチス・ドイツに併合され、獄に
繋がれたミュシャは、釈放間もなく生涯を閉じました。この辺りは、先日
のNHKの『祖国への旅路』というドキュメンタリー番組で感動的に紹介さ
れていました。
今回、初めてその大作『スラブ叙事詩』全20枚が一挙、東京で展示
されることになったのです。
内容だけでなく、それぞれが凡そ縦6m、横8mという大きさも圧倒的
です。このミュシャ展も、一区画だけは撮影可だったので、その大きさを
感じて貰える一枚が撮れました。下の写真の右下隅に大人の女性が見える
でしょうか。
前述のNHKのドキュメンタリーの中でも展示の作業風景が放映されて
いましたので、ご紹介をして結びと致しましょう。
2017.05.30
遅れて来た端午の節句
あれもこれも担当の千葉です。
今年は3月の気温が平年より低かったため、桜や野菜・果物など遅くなった
ものもあります。
我が家の花菖蒲も、5月5日にはこのような状況で、いったい今年は
花が付くのだろうかと心配しきりでした。が、、、
週明けからとうとう花を咲かせ始めました!奇しくも旧暦の立夏、
端午の節句の今日にピッタリ間に合わせてくれたようです。
因みに、花菖蒲とあやめと杜若の見分け方をネットで見ていたら、
端午の節句にしょうぶ湯に入れる菖蒲はアヤメ科ではなくサトイモ科
の植物で、葉は似ているけれど花は全く似ていないことを知りました。
(昨年も一昨年も読んでああそうだったと思ったような、、、)
爽やかな季節を、ニオイバンマツリ(匂い蕃茉莉)や紫蘭、紫つゆ草、
シモツケ(写真はありません)など、初夏の花たちも喜んでいるよう
です。
梅雨入りを控え、満開に向けて準備を進めている花たちも。
梅雨の代名詞・紫陽花に、
ポン菓子のような南天の紅白の花。
梅雨入りまでひと月を切った爽やかな季節を、この花たち同様謳歌したい
ものです。
2017.05.19
シリーズ・徒然読書録~『インドネシアの基礎知識』
あれもこれも担当の千葉です。
読書は好きで、常時本を持ち歩く癖が付いてしまいましたが、読み方は極めて
大雑把、何かしら記憶のどこか、心の片隅に蓄積されていれば良いという思いで
雑然と読み流してしまいます。その意味で、読者の皆様には退屈でご迷惑かと
も恐縮しつつ、ブログに読書録なるものを記してみるのは自分にとって有益か
も知れないと思い、始めてみました。皆様のご寛恕を請うところです。
徒然なるままに読み散らす本の中から今回取り上げるのは、加納敬良著『アジア
の基礎知識3、インドネシアの基礎知識』(めこん刊)。先月ジャカルタでテロ
事件がったり、中学・高校の親友がジャカルタに駐在していたりと気になって
いたので図書館で借り出してみました。
インドネシアは面積(日本の5倍以上)、人口(2.5億)ともに世界最大の
島国です(グリーンランド・デンマークを除く)。また、世界最大のイスラ
ム教人口を抱える国でもあります。
1年を通じて月平均気温は26~29℃で、最高気温は35℃を超えず、最低
気温は25℃に届かないという、赤道直下でありながら猛暑日や熱帯夜がなく、
熱さは割合穏やかだというのが驚きです。インドネシアもまた4つのプレートが
せめぎ合うエリアで、日本と並ぶ火山大国・地震大国です。
4世紀以降、ヒンドゥー教、大乗仏教、イスラム教の国家が興亡し、16世紀
以降の西欧(ポルトガル・スペイン・オランダ・イギリス)や第2次大戦時の
日本などによる支配を経て、1945年に独立を果たしました。
インドネシア共和国は、単一のインドネシア民族の下に300ほどの種族が
あり、単一のインドネシア語(公用語・マレー語が母体)以外にもそれぞれ
の部族語がある。そのため、公式の場ではインドネシア語を、日常ではそれ
ぞれの部族語を話すなど、大概の国民がバイリンガルだそうです。ただ、種族
を超えて結婚した場合、日常でもインドネシア語を用いるため、生まれた子供
はモノリンガルになる、ということも驚きです。
そもそも歴史的に国土が一定せず、一つの国・一つの民族としての意識を
持ちにくい中で、19世紀初めにマラッカ海峡を挟んでマレー半島側を英国
領、スマトラ島以東の島嶼をオランダ領と決めた条約以降のオランダ東イ
ンド会社の統治によって、単一国家の体裁と意識が育まれたというのは、
とてもアイロニカルな指摘です。独立運動のさなかの1928年『青年の
誓い』で、一つの国土、一つの民族、一つの言語としてのインドネシアを
決議したのが現在のインドネシアの骨格を形作っています。
一部の部族を除いては、『父系・母系のはっきりした血縁組織を持たない、
双系的社会』とありますが、要するに一般的には父親や母親の苗字を引き継
がない(家族としての苗字はない)ということだそうです。山田太郎さんと
佐藤花子さんの子供が田中一郎さんであったりする社会だということですね。
イスラム教徒が人口の87%と言っても、イスラム教を国教とするイスラム
国家ではありません。また、イスラム法が国の法律としての地位を持つ訳でも
なく、宗教裁判所もありません。5つの『唯一神』宗教が公認宗教とされ、
国民はそのうちどれを信仰するか登録する義務があるとのこと。その5つとは、
イスラム教、キリスト教(カトリックとプロテスタント)、ヒンドゥー教、
仏教、儒教。ヒンドゥーや仏教が唯一神かどうか、はたまた儒教は宗教なのか
驚きはありますが、とても宗教には寛容な感じがします。元来が豊かな土地柄
なのだろうと拝察しました。
2017.05.17
母の日~日頃の罪滅ぼしの日?
あれもこれも担当の千葉です。
会社の通用口の脇、何年か前の嵐で折れてしまった山桃の株の隣で、可愛い白い
花の群れが綺麗に咲き誇っています。
社員に聞いたところ、シャリンバイ(車輪梅)ではないかとのことでした。近寄
ると、むせ返るような強く甘い香りがします。そう言えば、市役所の東側の歩道
の植え込みもこの花であることに気付きました。車で通ると気付かないのですが、
きっと甘い香りが漂っていることでしょう。爽やかで過ごし易い日が多い今年の
五月・皐月です。
先週の日曜日は母の日でした。ウィキペディアによると、起源や祝い方に夫々違い
があるけれど、母の日は世界中多くの国で祝われており、日本の母の日は、大正
から昭和の初期に掛けてアメリカから伝わって広まったということです。5月の
第二日曜であることやカーネーションの花を贈るところがアメリカの母の日と同じ
ようです。
家のことは全て任せっ切りにしている二人の女性、老義母と息子たちの母親への
母の日のプレゼントは、感謝と何も手伝わない日頃の罪滅ぼしの意味で、大事な
ミッションを帯びています。今年は、食事とお花と果物でした。
つい最近ご近所にできたイタリアンのお店。箱根西麓の焼き野菜の盛り合わせは、
オリーブ・オイルと粗塩だけのシンプルな味付けにもかかわらず、素材の良さと
絶妙な火加減で、秀逸な美味しさでした。
お得意様の清花園さんで作って戴いた花束と、私が『三島の千疋屋』と勝手に
呼んでいるさいとうフルーツさんで薦めて戴いた果物は、二人の女性のハート
をガッチリとゲット。効果覿面でした、ありがとうございます!
その、さいとうフルーツさんでの大将との会話。
『日頃の罪滅ぼしをしようと思って買いに来たよ~』
『それじゃあ店にあるもの全部買ってもらわなきゃ!』
あのぅ、そこまで罪深くはないと、、、。
2017.05.06
迎賓館赤坂離宮の見学
住宅・リフォーム営業部の山入です。
ゴールデンウィークを利用して、迎賓館赤坂離宮へ行ってきました。
ゴールデンウィークの為か、迎賓館の付近の交通量の少なさにはビックリしました。
建物の内・外についてはとても見所が多く、改めて関心した次第です。
西門より入館したのですが、手荷物チェックで45分位並ばされてしまいました。
持っていたペットボトルを係り員の前で一口飲まされたのですが、昨今の文化財への液体物の散布
事件を考えると仕方がないのかなと思いました。
2017.04.28
『ら』抜き言葉
あれもこれも担当の千葉です。
昨年の日経新聞に掲載された記事です。
文化庁が調査を開始した1995年以来初めて、初日の出が『見られた』よりも
『見れた』、早く『出られる?』よりも『出れる?』、いわゆる『ら抜き派』の
方が多かったそうです。『今日は何時に来れる?』など、自分でも場合によって
は『ら抜き』を使っていることに気付き、ハッとした記憶がありました。
3月のことですが、そんな『ら抜き言葉』を主題に据えた演劇に友人が出演する
というので久し振りの観劇をして来ました。
『ら抜き言葉』や『誤った敬語』を巡り、対立していたはずの世代(老若)や
対立していたはずの文化(都会と田舎)が、いつの間にか融和して行く様が、
コミカルにテンポ良く描かれていました。『ら抜き言葉』や『敬語』が、人に
よって、或いは同じ人でも立場によって見事に使い分けられており、一入ならぬ
稽古がされて来たのだろうと拝察できました。
記事に拠れば、『up』の代わりに『うP』、『ok』の代わりに『おk』など
モバイル世代ならではの用法が増えていることや、間違った意味での誤用が多数派
になった『確信犯』などが紹介されています。私も『確信犯』は誤用していました。
言葉は生き物で時代と共に変遷して行くものではありますが、少し時代の流れに
逆らってみたいなと感じました。
2017.04.11
シリーズ・徒然読書録~高橋真理子著『人はなぜ星をみあげるのか 星と人をつなぐ仕事』
あれもこれも担当の千葉です。
読書は好きで、常時本を持ち歩く癖が付いてしまいましたが、読み方は極めて
大雑把、何かしら記憶か心のどこか片隅に蓄積されていれば良いという思いで、
雑然と読み流してしまいます。その意味で、読者の皆様には退屈でご迷惑かと
も恐縮しつつ、ブログに読書録なるものを記してみるのは自分にとって有益か
も知れないと思い、始めてみました。皆様のご寛恕を請うところです。
徒然なるままに読み散らす本の中から今回取り上げるのは、高橋真理子著、
『人はなぜ星をみあげるのか~星と人をつなぐ仕事』(新日本出版社刊)。
オーロラの降るアラスカの原住民の写真を撮る星野道夫さんに憧れ、宇宙と
人との繋がりに興味を持ち、大学で地球物理学の世界に飛び込んだ著者が、
公務員としてプラネタリウムを担当したら、どんな活動の数々を紡ぎ出すのか。
星を眺めながら考えた言葉を一句ずつ、一句ずつ公募し、皆で作詞した宇宙連歌
に財津和夫が曲をつけ、平原綾香が歌った『星つむぎの歌』。90分で地球を
一周してしまうため、一日に16回の昼夜を繰り返すスペースシャトルの宇宙
飛行士の土井隆雄氏が目覚まし曲として宇宙に持って行きました。
『見えていても心がなければ見えないと言ったのは星の王子さま。見えないけれど
確かに存在するものを詠ったのは金子みすゞ。見えないものに価値を置ける社会
に惹かれると言ったのは星野道夫。見えている星はほんの一部。見えない星の方
が圧倒的に多い。』目の見えない人、視覚障碍者にも宇宙を、星を、プラネタリウム
を知って欲しい!と始めたプロジェクトは、星空の存在やその奥にある宇宙の
イメージを持って貰おうと、言葉や音楽のみならず点字も駆使。これが点字も
併用したユニバーサル・デザインの絵本『ねえ おそらのあれ なあに?』に
結実します。
『戦場に輝くベガ~約束の星を見上げて』は、『高度方位暦』の存在を知り、
戦争経験者にインタビューして創り上げたプラネタリウム番組です。戦時中、
天文航法に必要な『高度方位暦』の計算に従事する久子と、それを用いて敵地
へと爆撃機を導く偵察員の和夫。沖縄戦出撃前に和夫が久子に送った最後の
手紙。『星が武器としてではなく、希望の光として輝ける日が来ることを祈
っています。』
これが反響を呼んで、メイキング・ストーリー、『終わらない物語』も制作。
テーマは、『男と女、加害と被害、当時と今、全ての対を引き裂くのが戦争で、
全ての対を繋ぐことができるのが星』。
プラネタリウムに行きたくても行けない人たちには、『出張プラネタリウム』や
『病院がプラネタリウム』を実現させてしまいます。
著者のその素晴らしい感性と、驚くべき企画力と、凄まじい行動力にはただただ
頭が下がる思いです。
折しも、この本を読んでいる時に、盲導犬支援のためのチャリティ・プログラムが
あって参加させて戴きました。その中で、ほんの少しの支えがあれば、視覚障碍者
の方でもコンサートに行って音楽を楽しめることも知りました。また、視覚障碍者の
ケアをしている看護師の方が話されたことがとても心に沁みました。それは、
視覚に障害を負った方の心理的な状態は時間と共に変わって行く。障害者の方が、
ショック⇒否定⇒混乱・怒り⇒努力⇒受容の、どの段階にいるかで、適切な対応・
声の掛け方というものも変わってくるということでした。
(盲導犬育成機関、富士ハーネスさんのHPより)
以前、所属するロータリー・クラブでお呼びして盲導犬のデモンストレー
ションをして戴いた時のことですが、盲導犬にとっての制服である
『ハーネス(綱)』を着けている時の犬は、何事にも動ぜず命じられた事
を守り通す『オトナ』なのですが、ひとたびハーネスを脱げば、撫でて
あげれば喜びはしゃいでこちらの顔を舐めてくるような遊び好きな
『甘えん坊』であることにビックリしたことがあります。それ程の
『プロフェッショナル』だということですね。
とはいえ、街で盲導犬に出会ったら、目をあまり見つめないようにし、
盲導犬の気を惹くような(気を逸らせてしまうような)ことをしないで
あげて下さい、とのことでした。
少し脇に逸れてしまいました。東日本大震災のあった3.11の夜、大停電の
東北地方の夜空は満天の星空だったそうです。著者に寄せられた被災者の言葉
は、星と人との繋がりを強く感じさせるものであると同時に、深く胸を撃つ
ものがあります。最後にこの言葉たちを列記して終わります。
ー とんでもない満天の星空が広がって、それを見た瞬間、『あぁ、私、生きて
いる・・・』
ー ふと、あの夜の星空は亡き人が道に迷わず天国へ行けるようにと導く明りだ
ったのではないかと思った。
ー こんな大変な時なのに、思わず『星がきれい』と思ったことを覚えています。
人は、どんな困難な状況の中でも、輝く星を見て『美しい』と感じる心が残っ
ているもんだなと自分でも驚きました。その心が残っているうちは大丈夫かも
しれないと思いました。
ー 見たこともない美しい星空に、ためていた涙が一気にあふれだした。仙台は
こんなに星が見える街だったんだ。子どもはこんな時でも、それに気付くこと
ができるんだ。・・・同時に、こんな悲惨な状況でも、美しいものを見つけら
れるすてきな子どもたちを、何としても守っていかねばと、弱気になっていた
心に活を入れられた忘れられない夜だった。
ー あの夜は、星が怖いくらい光っていた。哀しかったけれど、停電であかりが
なくても星はすごい光っていた。そういう存在になれたらいい。
2017.03.29
女心は春の空?!
あれもこれも担当の千葉です。
先週末から雨が多くなっています。3月の雨は一雨ごとに暖かさを伴うと言われ
るのに、このところは雨の後も冷えびえとして、開花した桜の進み具合が遅く、
富士も雪化粧が厚くなり真っ白です。
そこでふと昨年秋の日経新聞の文化欄の『現代ことば考』にあった言葉を思い出
しました。
『女心と秋の空』は、変わり易いものの代名詞として女心と秋の天候をあげて
いますが、バリエーションが豊かで、江戸時代には『男の心と秋の空』と言わ
れていたとか、女心は段々と暖かくなるので『女心は春の空』だと言う人もいる
と書かれてありました。このところの『春の空』は変わり易いですが、一向に
暖かくならないですね。
なかなか進まぬ春のせいか、庭の花たちは例年より遅れています。
小米(コゴメ)桜、ようやく開花も、まだまだ蕾の多い状況です。
雪柳と連翹(レンギョウ)は一面を覆うような満開にはまだ少し時間が掛り
そうです、
花杏は7分咲き、石楠花(シャクナゲ)がようやく一輪開花です。
ふとまだ葉も出ない梅の枝を見遣ると、可愛い梅の実が付き始めていました。
さて珍しい花を二つご覧にいれましょう。何の花かお判りになるでしょうか?
こちらはなんとブロッコリーの花です!
そしてこちらは、、、
白菜(ハクサイ)の花です。
いつもは花が咲くまで待たずに収穫されてしまうため、私も初めて見ました。
満開の桜はもう少し先のようです。寒暖の差が大きいのでどうぞご自愛下さい。
2017.03.26
三島E様邸お引き渡ししました
前回のブログで、立柱式の案内をした三島のE様邸のお引き渡しをしました。
プラン限定の「エコルフα」という規格住宅で、基本仕様は限定されていますが内外装ともお施主様好みの色の組み合わせが可能です。
実は、撮影時点では、照明はついていませんでした。
各種機器の取扱説明中です。
6月にはお子様が誕生予定です。
これからもお幸せに。
住まいのメンテナンスが始まりますが、E様、これから長いおつきあいになりますのでよろしくお願いします。
2017.03.19
夜が長い最後の日
あれもこれも担当の千葉です。
春分の日を前にいよいよ陽射しが暖かくなりました。そんな暖かな光を一杯に
浴びて、地鎮祭に伺ったお宅の庭には土筆(つくしんぼう)が仲良く並んでいました。
雛祭りに合わせて開花した我が家の木蓮も、満開を過ぎてその厚い花弁が茶色
に変わって散り出すものが出て来ました。
続いて足下に目をやれば、陽当たりの良いところにはいつの間にかハナニラが
群れを作っていましたし、
陽当たりの良くないところにひっそりと顔を出した蕗の薹が、すっかり花に
変わっていました。
視線を上げると、昨年、一昨年より一週間ほど遅れ馳せながら、花杏(はなあんず)
がチラホラと花開き始めました。木蓮が咲き杏が咲くと暖かくなると老母が良く
言いますが、今年も何とかお彼岸に間に合わせたかのようです。
春爛漫を満喫できる日も遠くなさそうです。
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ACCESS
結構長い開催期間で、だいぶ前に行ったにもかかわらず、わざわざ
残り僅かになってのお知らせとは、全く以て如何なものかと失礼を
お詫びせねばなりません。
共に六本木にある、森美術館でのN.S.ハルシャ展と国立新美術館での
ミュシャ展。
N.S.ハルシャは1969年、南インドで生まれた現代アートの旗手。初めて
聞いた名前でしたし(お目当てのマリー・アントワネット展が長蛇の列なの
で諦めて同じビル内のこちらに来たのです)、自分より一回りも若いアーテ
ィストであることにもビックリ。
大きなキャンバスからは、心地良いリズムが溢れだしていました。インド
ならではの多様性と時間の連続性・悠久さを連想しました。
最近の展示は、カメラ撮影が許されているものが増えて来ました。この
ハルシャ展も撮影可。そのために、キャンバスの大きさと、一風変わった
展示の面白さをお届けすることができます。
(キャンバスの上方の壁には直接絵が描かれています)
続いてはマスコミで多く取り上げられたミュシャ展。
パリで華やかで耽美・妖艶な作風のポスター画家として大活躍していた頃の
作品は知っていましたが、故国チェコに戻ってからの画業については、今回
の展示があって初めて知りました。
ミュシャ(1860~1939)が生まれパリで成功を収めた頃の故国
チェコは、ハプスブルク家のオーストリアに併合されていました。50歳
を過ぎて故国に戻ったミュシャの絵の対象と作風は、祖国チェコの民衆を
鼓舞するものに一転します。オーストリアのくび木を逃れて一旦はチェコ
スロバキアとして独立するも、間もなくナチス・ドイツに併合され、獄に
繋がれたミュシャは、釈放間もなく生涯を閉じました。この辺りは、先日
のNHKの『祖国への旅路』というドキュメンタリー番組で感動的に紹介さ
れていました。
今回、初めてその大作『スラブ叙事詩』全20枚が一挙、東京で展示
されることになったのです。
内容だけでなく、それぞれが凡そ縦6m、横8mという大きさも圧倒的
です。このミュシャ展も、一区画だけは撮影可だったので、その大きさを
感じて貰える一枚が撮れました。下の写真の右下隅に大人の女性が見える
でしょうか。
前述のNHKのドキュメンタリーの中でも展示の作業風景が放映されて
いましたので、ご紹介をして結びと致しましょう。