2022.03.25
牧水歌碑展~徒然読書録・俵万智著『牧水の恋』
千葉@壮から老への旅の途中、です。

 

読書は好きで、常時本を持ち歩く癖が付いてしまいましたが、読み方は極めて大雑把、何かしら記憶のどこか、心の片隅にでも蓄積されていれば良いという思いで雑然と読み流しています。暫くするとその内容どころか読んだことさえ忘れてしまうことも。その意味で、読者の皆様には退屈でご迷惑かとも恐縮しつつ、ブログに読書録なるものを記してみるのは自分にとって有益かもしれないと思い、始めてみました。皆様のご寛恕を請うところです。

 

徒然なるままに読み散らす本の中から今回取り上げるのは、俵万智著『牧水の恋』(文芸春秋刊)です。

 



本書は、牧水の晩年の弟子、大悟法利雄氏の著書『若山牧水新研究』に基づき、同じ歌人の俵万智が生身の青年牧水の歌を考察したものです。特に最初の恋人である園田小枝子(惚れてしまって後に既婚者だとわかる)との出会いから、煩悶、恋の成就、嫉妬、そして別れの過程で産み落とされた名歌の数々が、これまでの文学的な解説とは全く異なる、生臭い青年牧水の視点から考察が加えられてゆきます。リズム感に優れ哀愁漂う歌が私もとても好きな歌人です。しかし旅と酒の歌人としての、質実、硬派にして孤独で繊細なそれまでの牧水像がガラガラと音を立てて崩れかねないほどのスリリングな評伝文学です。

余りにも赤裸々で卑近な評伝ゆえに、焦げ臭い部分は避けながら、興味深かった部分を書き出してみます。

 

『出会ったころの歌には「寂し」という語が多く使われていた。が、互いの距離が近くなってからは「悲し」が目立つようになる。

・悲しみのあふるるままに秋のそら日のいろに似る笛吹きいでむ

・白鳥は哀しからずや海の青そらのあをにも染まずただよふ

・なみだもつ瞳つぶらに見はりつつ君悲しきをなほかたるかな

語られる悲しみが何なのか、読者にはわからない。ただ自明のこととして、牧水は悲しみの語を連発する。つまり、よく言えば抽象度が高く、悪く言えば独りよがりということだ。しかし、独りよがりであっても、徹底した人生の何かが貼りついている場合、こういう歌を大量に作るなかで、ふいに天啓のように純度の高い歌が生まれることが、まれにある。二首目の白鳥の歌は、まさにそのようにして生まれた名歌ではないだろうか。』

つまり独りよがりでもそれを極めてしまえば、下手な鉄砲も数打ちゃ当たる、ということでしょうか。因みに、白鳥は、『初出の雑誌では「はくてふ」というルビがついているが、歌集(『別離』)のルビは「しらとり」。こちらのほうが、断然いい。・・・S音とR音の響きが・・・響き合い、しみじみとした切なさが伝わってくる。』とあります。

 

長く煩悶に明け暮れた恋が遂に成就した時期に詠まれた歌を上げてみましょう。

・山ねむる山のふもとに海ねむるかなしき恋の落人の国

牧水の得意とするリフレインを用いた、とてもリズム感の良い歌です。

・君を得ぬいよいよ海の涯なきに白帆を上げぬ何のなみだぞ

・こよひまた死ぬべきわれかぬれ髪のかげなる眸(まみ)の満干る海に

著者の俵万智さんの解説は、その歌風さながらにユニークでぶっ飛んでいて楽しいです。

『私が一番艶っぽいと思った一首だ。フランス語ではオーガズムを「小さな死」と表す。・・・濡れた髪の下の美しい瞳。その彼女の瞳のなかに、愛してやまない海を、牧水は見ている。瞳の海が干満を繰り返し、いつしかその海に溺れてゆくような、溺れて溺れて溺死するようなイメージである。』

・山を見よ山に日は照る海を見よ海に日は照るいざ唇(くち)を君

『これは名歌なんだろうか?いざ!とか言って力で押し切った感はあるけど、あまりにもミもフタもないというか、、、。それに句切れも多過ぎなのでは?一般的には、句切れが二カ所以上ある歌というのは、散漫な印象を与え、調べが途切れてしまうので「できれば一カ所までにしましょう」と短歌の入門書などには書かれている。ところがこの歌は、句切れ放題もいいところ、五七五七七すべて句切れ、さらに結句は「いざ・唇を・君」と細かく切れる。完全にアウトな感じだ。・・・オール句切れという技は、禁じ手と言えば禁じ手なのだが、このことが、とてつもなく大きな時間と空間を一首に呼び込んでいる。そこが成功の秘密のように思われた。・・・重層的な対句のおかげでまとまりが生まれているので、リズムが途切れるどころかリズミカルにさえ感じられるのもすごい。』

 

ところが恋の成就、絶頂からひと月後にはトーンの暗い歌が読者をたじろがせます。

・胸せまるあな胸せまる君いかにともに死なずや何驚く

・疑ひの蛇むらがるに火のちぎれ落とすか花のそのほほゑまひ

・君かりにその黒髪に火の油そそぎてもなほわれを棄てずや

・髪を焼けその眸(まみ)つぶせ斯くてこの胸に泣き来よさらば許さむ

・いざ行かむ行きてまだ見ぬ山を見むこの寂しさに君は耐ふるや

 

3年越しの恋が成就して1年で離別。

・なほ耐ふるわれの身体をつらにくみ骨もとけよと酒をむさぼる

・海底に眼のなき魚の棲むといふ眼のなき魚の恋しかりけり

『シンプルな構造と、リフレインの生み出すリズム感が心地よく、牧水らしい愛唱性に富む一首である。・・・軽やかな思いつきで、ふっとできたような歌、それがとても多くの読者を惹きつけることがある。だが、その「ふっと」に行きつくまでには、かなりのジタバタやぐちゃぐちゃがああり、一瞬の上澄みが歌になった時、思いがけずいい作品が生まれることがある。・・・歌ができる前の年から、なんとなく海の底で、手も足もなく目もみえない自分が、寂しく横たわっているようなイメージを、牧水は自身に持っていた・・・「かなしかりけり」でも「さびしかりけり」でもなく「恋しかりけり」。そこには強い共感と主観的な思い入れがある。・・・着地にいたるまでにくぐり抜けてきた時間の重みと深さは、必ず一首の奥行きに影響を与える。「眼のなき魚」の歌が持つ、孤独な自画像のような哀愁。それは牧水の膨大な苦悩の時間から滲み出たものだったはずだ。』

 

失意の牧水は魂の救済を酒と旅という現実逃避に求めます。

・かたはらに秋ぐさの花かたるらく亡びしものはなつかしきかな

『「亡びしもの」は、読む人によって、さまざまに受け取ることができる。国や時代といった大きなものから、気がつけば失われていた日常まで。過去を愛惜するすべての人の心に寄り添うことができるのが、一首の魅力である。が、詠んだ牧水自身にとっての「亡びしもの」は、小枝子との恋愛以外には考えられない。・・・この歌は知られた一首となり、小諸の懐古園の中に歌碑がある。』

・白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけれ

『酒の歌人牧水の代表作だ。結句は、後に「べかりけり」と改作された。・・・しみじみと、じっくりと、心ゆくまで酒を味わう牧水。こんなふうに静かに楽しんでこその酒だ、という思いがあふれている。そうでない飲み方をしてきたからこそ、の感慨もあるだろう。体をわざと傷めつけるような乱酔の日々。旅に出る前の東京でのことが、対比的に頭の中にはあったはずだ。・・・ただ単純に、酒好きの酒飲みが秋の夜長にちびちびやっただけでは、名歌は生まれない。この一杯にたどりつくまでの葛藤と苦しみが、目に見えないところで歌を下支えしているのである。』

・をりをりの夜のわが身にしのび入りさびしきことを見する夢かな

・若き日をささげ尽くして嘆きしはこのありなしの恋なりしかな

『何という苦い総括だろう。青春を捧げ尽くしたとまで言い切る牧水。しかしその対象は、結局実体があったのかさえ覚束ない恋愛だった。』

・わだつみの底にあを石ゆるるよりさびしからずやわれの寝覚めは

 

牧水は、仕事の上では順調に同人誌の主宰や歌集の発行を続け、その後同じく歌人の喜志子夫人と結婚し、ご存じの通り大正9年に一家をあげて沼津に移住して来ました。始めは香貫(現在の市民文化センター付近)に住み、後に千本松原に居を新築し昭和3年に没するまで松原を愛し、今も千本の乗運寺に眠っています。千本浜には若山牧水記念館があり、その功績と生涯をよく伝えています。

 



牧水の歌碑は全国に336基あり、そのうち28基が静岡県にあります。ただいま沼津市若山牧水記念館で静岡県内にある『牧水記念碑展』が開催中です。週末の3月27日までと残り僅かですが、お時間がございましたらぜひお足をお運び下さい。

 



 

牧水の最初の歌碑は千本浜公園にあり、他にも乗運寺の墓所、香貫山の香陵台、三嶋大社などにもあります。最後に、最初の歌碑となった歌と、俵万智さんの解説を記して終わります。小枝子と出会って間もない頃に、恋焦がれて中国地方を歩いて回った時の歌で、牧水の代表作でもあります。

・幾山河越え去り行かば寂しさの果てなむ国ぞ今日も旅ゆく

『牧水の代表作として名高く、多くの人に愛誦されている。歌の生まれた背景を離れて、人生という旅の遥かさ、生きることそのものの寂しさを、訴えてくるからだ。読む者が、それぞれの人生を重ね、寂しさを思い、味わうとき、歌はその人のものとなる。個に徹してこそ普遍性は生まれるのだということを、見事なまでに体現した二首である。あまりに知られた歌なので、むしろ、このような恋の歌として詠まれたということのほうが、読者を驚かせるかもしれない。』

はい、とても驚きました。「白鳥は」の歌の解説にもあったように、個に徹してこそ普遍性は生まれ、ふいに天啓のようにように純度の高い歌がうまれ、歌の生まれた背景を離れて多くの人に愛誦されることがあるということがよく解った著作でした。

 

若山牧水 明治18年、宮崎県で誕生。40年、小枝子と交際始まる。41年、処女歌集『海の声』。43年、『独り歌へる』、合本『別離』。44年、小枝子との交際終わる。『路上』。45年、太田喜志子と結婚。大正9年、沼津(香貫)へ移住。昭和3年9月、永眠。千本の乗運寺の墓所には夫婦の二首の歌碑が並んでいる。

牧水  聞きゐつゝたのしくもあるか松風の今は夢ともうつつともきこゆ

喜志子 古里の赤石山のましろ雪わがゐる春のうみべより見ゆ

 

因みに、本書の中に、沼津の主治医として、稲玉真吾医師の名前がありました。私の友人のおじい様かなと勝手に思って嬉しくなりました。