2021.06.06

上棟準備中です。

 

こんにちは住まい担当の大木です。

 

写真は静岡県東部で上棟を目前に控え、土台の取付中の現場写真です。

 

 



 

なにげない事ですが建物を周辺の土で汚さないように基礎周辺にシートを敷き

 

基礎にはビニールでの養生を行っています。

 

特に雨の多いこの時期にはこのような気遣いが大事ですね。

 

 
2021.05.30

アユ釣りスタート

 

花崎です

 

 

5月20日、県内河川のトップを切って、

 

興津川でアユ釣りが解禁しました。

 

前評判通り、かなりの好釣果だったようです。

 

私も26日に行ってきました。

 



 



 

今年のアユ釣りはここからスタート!

 



 

綺麗な初アユです!

 



 

釣果は微妙でしたが、

 

今年も無事にアユ釣りがスタートできました。

 

6月5日には地元の狩野川も解禁します。

 

今年は沢山釣りたいなー(^^)

 
2021.05.26

恵まれた散歩コース

 

お久しぶりです。

 

住まい担当の大木です。

 

自分も御多分にもれず年を重ねるにつれて以前よりもかなり早く目覚めるようになりました。

 

低めだった血圧も気が付けば高血圧の一歩手前まで上がってしましましたので

 

朝 調子が良いとき限定でウォーキングを始めました。

 

自分が今住んでいるのが三島市の南部なのですが、歩き出して気が付いたことは

 

このエリアは源平川、大場川、来光川と河川が多く、それぞれの河川が狩野川水系独特の

 

緩やかな蛇行をしながら流れている事です。

 

(当然 どの河川からも景色は最高です。)

 



 

マンネリ化しそうなウォーキングのコースも各河川の河川敷を色々なルートで歩くことで

 

車が乗り込んで来れない快適なコースが複数出来ます。

 

長い間このエリアに住んでいましたが、こんなにウォーキングに最適なエリアだったとは

 

今まで歩かなかった事が少し勿体ない気がしました。

 

 
2021.05.22

耐震補強工事キャンペーン

リフォームの三須です。

 

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2021.05.21

FPオンラインセミナーを開催します!

住まいづくり担当の情野です。

 

6/5(土)14:00~15:30にオンラインでFPセミナーを開催します。

弊社のセミナールームに少数でお集まりいただき、講師の先生は東京からの全国各地へのオンライン講演となります。

初の試みとなりますが、きっと価値のあるセミナーになると思います。

 



 

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2021.05.14

シリーズ・徒然読書録~馳星周著『少年と犬』『雨降る森の犬』

あれもこれも担当の千葉です。

 

読書は好きで、常時本を持ち歩く癖が付いてしまいましたが、読み方は極めて大雑把、何かしら記憶のどこか、心の片隅にでも蓄積されていれば良いという思いで雑然と読み流しています。暫くするとその内容どころか読んだことさえ忘れてしまうことも。その意味で、読者の皆様には退屈でご迷惑かとも恐縮しつつ、ブログに読書録なるものを記してみるのは自分にとって有益かも知れないと思い、始めてみました。皆様のご寛恕を請うところです。

 

徒然なるままに読み散らす本の中から今回取り上げるのは、馳星周氏の2作です。馳星周氏と言えば、『不夜城』や『夜光虫』などマフィアやヤクザ、不良少年が描かれるハードボイルド・暗黒小説が多いと言われ、これまで読んだことがなかったのですが、昨年7月の直木賞受賞を機に2作品を読んでみました。

 



 

直木賞受賞作『少年と犬』は、主人公の犬・多聞が、5年を掛けて釜石から熊本まで、震災で離れ離れになってしまった元の飼い主の少年・光を探し尋ねるロード・ノベルの体裁を採っています。旅の途中の仙台、新潟、富山、滋賀、島根で、孤独や死の匂いを敏感に嗅ぎ分け、死ぬか人生の坂道を転げ落ちる人間に寄り添っては、束の間の安堵と幸福を与えて行きます。そして辿り着いた熊本では、震災の恐怖から自閉症となっていた光に笑顔と言葉を取り戻させます。しかし多聞と光を熊本地震が襲い、、、。まるで5年後に熊本で光を地震から救うために遥か釜石から熊本まで移動してきた多聞。

 

単行本の帯には『ヒトという愚かな種のために、神が遣わした贈り物』とありますが、まさに犬とは人類の善き伴侶、いやそれを超えて人類に尽くし人類を癒す神々しい伴侶なのだろうと思います。文中にも『犬には人間には及びもつかない不思議な力が備わっているのかもしれない。・・・あんたたちの魔法って、人を笑顔にするだけじゃないんだね。そばにいるだけで、人に勇気と愛をくれるんんだ。』とありました。

 

しかし同じ帯に『傷つき悩む人びとと、彼らに寄り添う犬を描く感涙作!』とありましたが、いったいどこで『感涙???』するのか最後まで分からず仕舞いでした。次の展開が見通せてしまうストーリーで、平易で分り易い文章は逆に言えば平凡な文体です。私は本を読む際には重要だと思ったり素敵だと思った文章に線を引いたりメモに書き写したりしながら読み進めますが、今回は書き写す文章も殆どありませんでした。僭越を承知で書くと、直木賞受賞の理由を探しあぐねながら読み進めた小説でした。

 

 

そんな読後感を妻に話したところ、一作では簡単に判断はできないのではと諭され勧められて読んだのが、『雨降る森の犬』です。



 

直木賞受賞作の『少年と犬』を2年遡る2018年刊行の、やはり犬を主人公に据えた小説です。結論から言うと、遥かに良い印象の読後感を持ちました。読んでみて良かったです。

 

父の死後、若い恋人を追ってニューヨークに行ってしまった母、その兄で山岳写真家の伯父の信州蓼科の家に住むことになった中学生の雨音(あまね)は母親に捨てられたと強く感じていた。隣の別荘に来る別荘族イケメン高校生の正樹も、強権的な父親と継母との関係に問題を抱え悩んでいる。伯父の飼い犬のワルテルは、スイス原産の大型犬、バーニーズ・マウンテン・ドッグ。ワルテルは蓼科の森の中でそんな二人との交流を通して、家族との関係に傷つき悩む二人に家族に代る愛を与え、人間として成長させる。犬と人間の家族のような関係を描いた作品です。

 

『あの森の岩の上に立ち、光芒に手を差し伸べている雨音をワルテルが岩の下から見上げている。森は霧を孕んで白く、しかし暗く、太陽の光が差し込む岩の上だけがほんのり明るい。』

『動物が幸せなのは、今を生きているからだ。不幸な人間が多いのは、過去と未来に囚われて生きているからだ。』

『人間は迷い、惑う。でも、犬は真っ直ぐだ。これが得だとか損だとか、そんなことは思いもしない。純粋に生き、純粋に仲間を愛する。だから、間違わない。』

 

 

実際に著者は軽井沢に暮らしバーニーズ・マウンテン・ドッグを飼っているそうです。どちらの小説も、犬をソウルメイトとして暮らす者でしか書けない小説と感じましたが、犬と人間の関係の深い描写に関しては『雨降る森の犬』に軍配を上げざるを得ません。惜しむらくは直木賞受賞作が短編集の形を採ったためなのだろうと思うことにしました。

 

 

 

 

 
2021.04.28

シリーズ・徒然読書録~東山彰良著『流』

あれもこれも担当の千葉です。

 

 

読書は好きで、常時本を持ち歩く癖が付いてしまいましたが、読み方は極めて大雑把、何かしら記憶のどこか、心の片隅にでも蓄積されていれば良いという思いで雑然と読み流しています。暫くするとその内容どころか読んだことさえ忘れてしまうことも。その意味で、読者の皆様には退屈でご迷惑かとも恐縮しつつ、ブログに読書録なるものを記してみるのは自分にとって有益かも知れないと思い、始めてみました。皆様のご寛恕を請うところです。

 

徒然なるままに読み散らす本の中から今回取り上げるのは、東山彰良(あきら)著『流』(講談社刊)です。2015年、又吉直樹氏の『花火』が芥川賞を受賞した時の直木賞受賞作です。東山氏は台湾生まれの台湾人。その殆どを日本で育ち暮らしながら国籍は中華民国のままの作家です。祖父は大陸山東省出身の抗日戦士で、蒋介石とともに台湾に流れて来た外省人。この小説はこうした著者自身が自らのアイデンティティを追い求め、止むに止まれずに書き記した作品と言ったように感じます。

 



 

先住民族、先に福建省など大陸から入植していた内省人、日本統治時代の台湾人、蒋介石が連れて来た外省人。各々が複雑な関係にあるように、日本や日本人に対する感情も単純なものではありえません。日本人とするとつい甘えて『日本人に好意的な台湾』とひと括りにしてしまいますが、実際はとても複雑なものがあると気付かされます。同時に、古くは国民党と共産党、現代でも国民党と民進党など、鋭く敵対しながら同胞でもあり、友人もいる複雑な関係にも改めて思い知らされます。

 

蒋介石の死んだ翌日(1975年4月)、大好きだった祖父が何者かに殺された。主人公の葉秋生は浴槽に沈んだ祖父の死の第一発見者だった。誰に何のために殺されたのか気になって仕方ない秋生は、受験にも失敗し、不良との喧嘩に明け暮れ、終いにはヤクザに命を付け狙われる羽目に。そんな少年時代から兵役も失恋も経験した秋生は祖父の死の秘密を解きに、戻った時に投獄される恐れがあるにもかかわらず、祖父の故郷、大陸山東省へ渡るところからこの小説は始まります。

『わしらに大義なんぞありゃせんかった・・・こいつなんかは自分の両親をいじめた共産党の一家を皆殺しにして国民党に入ってきた。みんな似たり寄ったりさ。こっちと喧嘩してるからあっちに入る、こっちで飯を食わせてくれるからこっちに味方する。共産党も国民党もやるこたあ一緒よ。他人の村に土足で踏み込んじゃあ、金と食い物を奪っていく。で、百姓たちを召し上げて、また同じことの繰り返しだ。戦争なんざそんなもんよ。・・・密告はなにも共産党のお家芸だというわけではない。草の根レベルで監視社会を堅牢にし、政権に盾突く不満分子を早期発見すべく、国民党によっても推奨されていた。つまるところ共産党も国民党もおなじ中国人で、中国人の考えることはどこでもおなじなのだ。』

『人というものは同じものを見て、同じものを聞いても、まったく違う理由で笑ったり、泣いたり、怒ったりするものだが、悲しみだけは霧の中でチカチカともる灯台の光みたいに、いつもそこにあっておれたちが座礁しないように導いてくれるんだ。』

『台湾に退却した国民党・外省人は、ここをいっときの仮住まいと考え、状況が好転すれば大陸に戻ると思っていた。その希望は蒋介石の死とともに潰えた。』

『1895年から1945年までの五十年間、台湾は日本の統治下にあった。言うまでもなく、日清戦争の敗戦による割譲である。この間、同化政策によって台湾の学校教育はすべて日本語で行われた。だから必然的に、日本人として生き、日本を故郷のように慕う岳さんたちのような日本語世代があらわれることになる。彼らの日本に対する愛情には並々ならぬものがある。第二次世界大戦のときは、自ら志願して大日本帝国のために戦った人たちもいたほどだ。そのせいで約三万人が命を落としたと教科書には書いてある。アメリカから空爆も受けた。岳さんたちは日本人として、お国のため、昭和天皇のために命を投げ打ったのだ。なのに敗戦と同時に、日本は台湾をばっさりと切り捨てた。やっぱりきみたちは台湾人なんだ、台湾人は台湾人であって日本人ではない、どうかお幸せに。それまで日本人として生きて来た人々の自我は、このとき音を立てて崩壊した。大陸で共産党に駆逐された国民党がこの島になだれこんできたのは、(外省人であるわたしが言うのもなんだが)まさに泣きっ面に蜂だった。すぐに台湾人への弾圧が始まった。日本語のみならず、台湾語の使用まで禁じられた。台湾生まれの台湾育ちのわたしが、台湾語が不如意なのはこのためである。』

『きみのおじいさんが私たちを目の敵にする気持ちはわからんでもない・・・あなたたちは外省人でしょう?そしてあなたのおじいさんはおそらく大陸で抗日戦線を戦ったはずです。・・・彼の眼には、日本統治時代を懐かしむわたしたちのような者は、奴隷根性に骨の髄まで冒された裏切者に映るんでしょう。それはオーストリア人やチェコスロバキア人がドイツの歌を歌って、ナチスの統治時代を懐かしんでいるようなものかもしれません。・・・日本統治時代のすべてがよかったなどと言うつもりは毛頭ありません。ですが、わたしたちのグループはみんな多かれ少なかれ日本人に助けられた経験があるんですよ。』

『魚が言いました。わたしは水の中で暮らしているのだから、あなたにはわたしの涙が見えません。・・・自分の痛みにばかり敏感で、他人も同じような痛みを抱えているなんて思いもしなかった。』

 

つくづく『台湾人はみな日本人が好き。それは日本統治時代に日本が台湾に良いことをしたからだ。』と十羽一からげにして、台湾人の日本に対する気持ちに関して問題意識を持とうともしない、疑ってみようともしない傾向の強い現代の日本人は、心すべきところだと受け止めました。

 

『きみのおじいさんはいつも不機嫌でした。胸の中にまだ希望があったんでしょうね。苛立ちや焦燥感は、希望の裏の顔ですから。怒りの炎を消すまいと、いつも自分を駆り立てていた。大陸を出た時に止まってしまった祖父の時計は、大陸にガツンと一発お見舞いしてやらない限り、ずっと止まったままだったのだ。』

『おれたちの心はいつも過去のどこかにひっかかっている。無理にそれを引き剥がそうとしても、ろくなことにはならん。』

 

『心配事は心配事として、欺瞞は欺瞞としてあとまわしにできるほどに、わたしは大人になっていた。・・・わたしはわたしなりに、あの日から十何年分前へ進んだ。人並みに軍隊で揉まれ、人並みに手痛い失恋を経験し、人並みに社会に出、人並みにささやかなぬくもりを見つけた。出会いがあり、別れがあり、妥協し、あきらめることを覚えた。それはそれで大人になるということだが、これ以上心を置き去りにしては、もう一歩たりとも歩けそうになかった。』

『人は同時にふたつの人生を生きられないのだから、どんなふうに生きようが後悔はついてまわる。どうせ後悔するなら、わたしとしてはさっさと後悔したほうがいい。そうすればそれだけ早く立ち直ることができるし、立ち直りさえすればまたほかのことで後悔する余裕も生まれてくるはずだ。突き詰めれば、それが前に進むということなんじゃないだろうか。』

 

『もしかすると、じいちゃんは殺して欲しかったのかもしれない。どこかで、だれかに過去の清算をしてもらいたかったのかもしれない。』

『この一切合切を終わらせるために、そして宇文叔父さんを許すために、わたしは叔父さんを殺さねばならない。そう思った。叔父さんの血だけが、わたしの疑問や欺瞞や怒りに対する唯一の答えなのだから。それは連綿と続く憎しみの連鎖の、もっとも美しい終わらせ方だった。わたしたちは血を流さないこともできる。しかし血を流さずに、いったい何を証明できるだろう?祖父は家族みんなの命をかけて、過去の過ちを償おうとした。悪い風が吹き荒れる心中の苦痛を証明した。逆説的だけど、その覚悟がわたしたちの命を救った。』

 

『ありがとうね、いろんなことを胸にしまいこんでくれて。胸のつっかえを吐き出すのはいいことだけど、吐き出した言葉に引きずられて、あなたはわたしたちの手の届かないところへ行っちゃうかもしれないから。』

 

物語の始まり、秋生の少年時代の1975年の台湾。『いまよりうんと混沌としていて、どんなことでも起こり得た』まだ極めてプリミティブな社会が生き生きと描かれています。

『当時の台北市の西門町のあたりには安くて美味いがひどく不衛生な屋台が軒を連ね、数年に一度、B型肝炎を大流行させていた。そのような屋台では残飯の上澄みからすくい取った廃油を精製して食用油として再利用していた。ビール腹のようにボンネットをでんと突き出した市バスが朝から晩まで中華路をふさぎ、ガラの悪い運転士が大声で世界をののしりながら、まるでレーシングカーのようにぶんぶん飛ばしていった。タクシーの運転手たちはティアドロップ型のサングラスをかけ、血のような檳榔(ビンロウ)の噛み汁を窓から吐き飛ばし、喧嘩をも辞さない覚悟で客をだまくらかす。遠回りなどはあたりまえで、メーターに小細工をして十秒ごとに課金したり、こちらはたしかに百元渡したのにいけしゃあしゃあと五十元しかもらってないと言い張ったりした。』

『萬華といえば台北屈指の荒っぽい界隈である。売春宿や蛇を食べさせる店が軒を連ね、男女の悲しみや蛇の血のせいで街全体に饐えたようなにおいが漂い、刺青を入れ、檳榔の噛み汁で歯を真っ赤に染めた極道たちが暮らしていた。』

 

三十数年前、1980年代後半に二度ほど台湾を訪れたことがあります。台北などの都会では既にだいぶ豊かになってはいましたが、やはりかなりプリミティブな印象を受けました。

夜店の屋台では蛇を食べました。注文すると目の前で檻から手で掴み出した蛇の頭を、二本の柱に渡した縄にひょいと洗濯ばさみで止め、あごの下あたりに入れた切れ目からススーっと一気に皮を剥ぎ下ろします。そしてあごの下をナイフで裂いてショットグラスに血を溜め、さあ飲めと言って寄こします。更にナイフを入れて小指の先よりも小さく、暗い緑色の心臓を取り出して手のひらに乗せ、これもさあ呑み込めと言って寄こします。清水の舞台から飛び降りるつもりで生臭い血と私の掌の上でトクトクと脈を打つ心臓を一気に飲み干しますと、寄生虫がいると困るので消毒のためだと言って注がれた強い酒(アルコール濃度50%前後の白酒)をこれまた飲み干します。皮を剥かれた蛇は縄から降ろされまな板の上でぶつ切りにされ煮立った鍋に放り込まれ、丼に入れられて差し出されます。煮た蛇よりも揚げた蛇の方が美味いのですが、このプリミティブな雰囲気が好きで2度の訪台の際には夜店を大いに楽しみました。屋台の前の椅子の周りには、客が投げ捨てる食べ物を目当てに野良犬や野良猫がうようよしていました。

30年の年月を経て数年前にまた2度ほど訪台しましたが、衛生上の問題でしょうか、夜店は近代的に清潔になり(ちょうど日本のお祭りの屋台のよう)、蛇を食べさせる屋台は一軒も見つけられませんでした。あ、血のような檳榔の吐き捨てられた跡はまだ道路のあちこちにありましたが。

 

 

 

 

 

 



 

 



 

 

 

 

 

 

 
2021.04.18

建てる前にご自身の目でご確認を

住まいづくり担当の情野です。

 

R+houseの建築現場見学会のお知らせです。

建ててしまったら見ることのできない構造部分と
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これから住まいをお考えの方は、必ず一度ご自身お目でお確かめください。

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お問合せフォームやお電話でも予約可能です。

お気軽にお問合せ下さい。

2021.04.09

シリーズ・徒然読書録~『晴れ、時々クラゲを呼ぶ』『全部許せたらいいのに』

あれもこれも担当の千葉です。

 

 

読書は好きで、常時本を持ち歩く癖が付いてしまいましたが、読み方は極めて大雑把、何かしら記憶のどこか、心の片隅にでも蓄積されていれば良いという思いで雑然と読み流しています。暫くするとその内容どころか読んだことさえ忘れてしまうことも。その意味で、読者の皆様には退屈でご迷惑かとも恐縮しつつ、ブログに読書録なるものを記してみるのは自分にとって有益かも知れないと思い、始めてみました。皆様のご寛恕を請うところです。

 

徒然なるままに読み散らす本の中から今回取り上げるのは、2冊。どちらも若い作家、或いは若者向けに文章を書いてきた作家で、昨年後半に図書館の新刊本コーナーで見かけて手に取ったものです。

 

 



まず最初は、鯨井あめ著『晴れ、時々くらげを呼ぶ』(講談社刊)。南米ウユニ塩湖のような表紙の素敵な写真と強いインパクトの題名で手に取った作品。いわゆる『ジャケ買い』ならぬ『ジャケ借り』です。読み出した時に感じた、『高校生が書いた高校生向けの小説』という印象は最後まで変わりませんでしたが、優しい気持ちを大切にしたファンタジーで、読後感はとてもほのぼのとしたものでした。

 

小説を3作だけ残して死んだ自分勝手な父親に対する反発から、知らぬ間にひとに対して無関心で自分勝手になっていた主人公の越前亨。図書委員の後輩で、世の中の理不尽さに対抗するために理不尽な手段で世界中に迷惑を掛けるテロとして、空からクラゲを降らせようという奇妙なことを祈りを続けるヒロインの小崎優子。

友人のために必死に世間と関わろうとする優子の姿に、優しさを失っていた自分に気付く亨。優子に代わってクラゲを呼ぶために祈り、同級生の悩み事に積極的に関わろうとし、反発していた父親の小説を読むことになる。

ずっと反発していた父親の作品はクラゲを呼ぶ女の子の話。自分が父親にとても愛され自分も父親が大好きだったことを思い出し、縛られていた父親の言葉から解放され、父親と和解できる。そして確信する。クラゲを呼べると信じた者だけがクラゲを呼べると。

 

幾つか心に留まった文章を抜粋します。

『なるほど、は、わかっていない人の使う言葉だ。』

『高校生は分別がつく年齢だね。・・・きっと複雑な理由があるんだよ。・・・悶々と悩んでぐるぐる回って涙が出て、ひとりで苦しんでしまう。世界中でひとりぼっちになってしまう。その子もきっとひとりなんだよ。ひとりは凍えそうで息苦しくて、最も近くにいる、気軽にやってくる地獄なんだ。』

『越前君はさ、無関心で自分勝手だよね。謝りたくなったから謝るけど、そこに相手の感情はないじゃん。・・・無関心であることは、人に優しくできないということだ。自分勝手であることは、感情の矛先を間違えるということだ。優しさの本質は他社への興味だ』

 

父親の作品の中の言葉が胸に迫る。『世界は理不尽であり続ける。だから、少しだけ優しくするんだよ。』

 

 



そして2冊目が、一木けい著『全部許せたらいいのに』(新潮社刊)。これも図書館の新刊本の棚から目に飛び込んで来ました。

 

アル中の父親にとても不安で辛い思いをして来たヒロインの千映は、決して自分の娘に同じような思いをさせないような同級生の宇太郎と結婚したはずだった。が、その宇太郎がこともあろうに幼い娘・恵の育児の過程でストレスを溜め、アル中になってしまう。

アル中の父親との凄まじいまでのバトル。父親の死を機に気付く多くのこと。酷い父を丸ごと受け入れた母親の愛情。無条件の愛情と条件付きの愛情。アル中から抜け出そうと改心した宇太郎との新しい生活。

 

先頭の章、子育て中の千映と宇太郎との葛藤の部分が文章としては最も緊張感があり、それに続く章たち、すなわち千映の子供時代、父親との葛藤など中・後半の文章は少し冗長で迫力に劣りますが、最後の父親の死に臨む場面は再び緊張感が高まり、静かで感動的なハッピー・エンドとなっています。

 

こちらも心に留まった文章を抜き書きして終わります。

『あ、この目。くさったイワシのような赤い目。話しても無駄な人間の目だ。』

『へとへとで腹が立って淋しくて宇太郎は飲む。するとわたしは淋しくて腹が立ってへとへとになってしまう。逃げたいときもあると、宇太郎は言った。わたしにだってある。でもわたしには逃げ場がない。』

『ゆるすと諦めるって、どう違うんだろう。』

『わたしだって条件付きの愛なんじゃないか。父を丸ごと愛したのは母ひとりかも知れない。』

『父とどう接していたらよかったのだろう。どうしていたら、父は、わたしたち家族は、こんな風にならずに済んだのだろう。・・・制御できない強さで、肚の底から悲しみが突き上げてきた。込み上げてきた言葉は、ごめんね、だった。お父さんごめんね。』

『目の前にいる人を曇りのない目で信じることができたら、どんなに楽だろう。どんなに生きやすいだろう。信じるという感情は自分自身にはどうしようもなく、コントロールなど到底できなかった。信じられるのは、宇太郎の行動だけだった。疑うのは疲れる。疑わなくなってはじめてそのことがわかった。』

『(前を行く恵を見守りながら)手放すことと、愛することは矛盾しない。』

 

 
2021.03.27

ダイヤモンド富士

 

花崎です

 

 

ダイヤモンド富士が見たくて、

 

朝霧ジャンボリーオートキャンプ場へ行ってきました。

 



 

お昼前に到着し、キャンプスタート。

 



 

久しぶりのダッチオーブン!

 



 

スタッフドチキンは美味でした!

 



 

焚火をしながら夜も更けて、

 

午後10時頃には就寝しました。

 



 

翌朝は6時前に起床して、日の出を待ちます。

 

しかし、富士山の後ろには雲が・・・

 



 

諦めかけていたら、

 

出てきました、お日様!!

 



 

ちょっと左にずれていましたが、

 

綺麗なダイヤモンド富士が拝めました。