2013.06.27
盛岡紀行②~高橋克彦氏の講演と園児たちの『空より高く』
あれもこれも担当の千葉です。

 

夏至が過ぎいよいよ夏の野菜が美味しくなる季節ですね。昨晩のお料理にも、ミョウ

ガやオクラが添えられていました。

 

さて、先月の盛岡行きの第2弾です。



経済同友会の全国セミナー2日目に、盛岡在住の直木賞作家、高橋克彦氏の講演が

ありました。演題は『和のこころ』。大変面白かったので、概要を記してみますが、文責

は偏に私にあります。

 

・『和』とは、なごむ、協調する、共に手を携える、といった意味である。

 

・歴史は勝者が書くものが残る。東北地方は古代からこれまでに5つの大きな戦いに

全て負けたために、東北地方の本当の歴史が残っていないのが残念である。

(これが名作『炎立つ(ほむらたつ)』の執筆の動機だったのかなと想像しました。)

 

・しかし、言葉から文化や歴史を窺い知り、推測することはできるはず。

 

・『大和』と書いて『ヤマト』と読ませるのは何故か。中国の歴史書に出てくる日本の呼称

『倭(わ)』と新朝廷・新部族『ヤマト』を結び付ける必要があったからであろう。即ち、そ

れまでの王朝・部族『倭』を継承又は征服した『ヤマト』が、大陸中国から日本統治のお

墨付き・正統性を得 るために、倭の国からの国譲り(連続性)があって出来たのが大き

な倭の国、即ち『大和』と称したのではないか。

 

・この仮説の根拠は、大国主命の国譲り伝説で、高橋氏は、ヤマト朝廷は倭の国の大

国主命を出雲に幽閉した征服王朝と考えている。倭の国の民の多くは、九州や東北

地方に逃れたために、大国主命を祭る神社の8割が東北と九州にあるとする。

 

・現代に至るまで、『和食』、『和風』など、日本古来・固有のものに『和(わ)』の字を使う

のは、日本人はヤマトの民ではなく倭(和)の民だという意識があるからだ。

 

ヤマト朝廷が古事記・日本書紀に書かせた大国主命の国譲りについては、諸々の説

があり、高橋氏の仮説は、全くあり得ない訳ではないとしても、少し強引な感じがしま

した。しかしそれも、高橋氏の東北地方への強い愛着の故ではないでしょうか。1993

年のNHKの大河ドラマとなった小説『炎立つ(ほむらたつ)』も、それまでなかった敗

者から見た東北地方を描こうと思われたのではないでしょうか。



『炎立つ』は、前九年・後三年の役や義経討伐を中心に、平安時代から鎌倉時代まで

の東北地方を舞台にした歴史小説で、この間の東北地方の覇者である、安部氏・

清原氏・藤原氏(いずれも婚姻などを通して大きな意味での同族)の興亡を、朝廷や

幕府といった中央権力に対峙する地方という、敗者の側の視点から描かれたもの。

講演を聴いて、ヤマトに対する倭の民としての矜持が書かせたものかと拝察する。

 

2日間のセミナーの最後に、盛岡市内の幼稚園児が登場し、感動的な詞の『空より

高く』を合唱してくれた。3.11の震災後に、二戸市の幼稚園児が、被災した方々を

応援しようと合唱したものを、ラジオ局が流して多くの感動を巻き起こしたと言われて

いるものです。

著作権の問題もあるため、出だしだけ記します。全体は下記のサイトをご覧下さい。

http://www.uta-net.com/song/137185/

 

作詞:所沢としひこ  作曲:中川ひろたか  『空より高く』

 

人は空より高い心をもっている

どんな空より高い心をもっている

だからもうだめだなんて あきらめないで

涙をふいて歌ってごらん

君の心よ高くなれ

空より高く高くなれ

 

 

園児達が一生懸命歌うのを聞いていて、涙が溢れて来ました。