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2013.09.19
イズシカ
総務三須です。
緑の中を悠々と歩いている鹿。
ここはどこでしょう?
動物園?
答えは伊豆市内のとあるゴルフ場でした。
最近、全国的な傾向かもしれませんが、伊豆でも鹿が人が住む場所に当たり前のように現れるようになりました。
ゴルフ場でも、近頃はいつもこのような状況に遭遇します。
写真では2頭ですが、右の方に小鹿がもう1匹いました。
近くで見るとちょっとかわいいのですが・・・
クラブハウスでの昼食のメニューに『イズシカ丼』なるものがありました。
さすがに『採りたて新鮮な・・・』とはメニューに書いてはありませんでしたが、このような可愛らしい姿を見てしまうと、ちょっと食べる気が・・・。
今、伊豆市では街を挙げて『イズシカ』を売り込んでいます。
確かに増えすぎて人里に出てきては畑を荒らしていく鹿は、害獣でしかないのかもしれません。
とはいえ、これも自然と人間生活のバランスが崩れたことも、ひとつの要因だと思います。
ちなみに、『イズシカ丼』と呼ばれるには条件があるそうです。
①伊豆市食肉加工センター「イズシカ問屋」で加工された安全・安心なイズシカを使用していること
②椎茸・ワサビなどの地元食材を使用していること
③シカの角を模した食材を添えること
この3つを満たすことが必要だそうです。
せっかくなので、皆さんもおいしく頂いてみてはいかがでしょうか?
(結構おいしいですよ)
2013.09.18
胡蝶蘭
こんにちは。
リフォームの鈴木(裕)です。
またまた、ランのお話です。
お前は、ランの話題しかないのか! (‐_‐#)
って・・・・・・
まあまあ、そうおっしゃらずにお付き合いを m(_ _)m
今年の春先に、あるお客様から胡蝶蘭をいただきました。
【写真中央は新葉】
実は、昨年の冬に母親がもらった胡蝶蘭を、水の管理が下手で
枯らしてしまいました (根ぐされ)。
悔しくて、それから本やWebで、管理方法の情報を入手しまして
今度こそは・・・・・
ということで準備してたんです。
いただいた時の花は終わり、二番花を咲かそうと花茎を切り
待つこと3ヶ月・・・
【二番花の花芽を確認 (写真中央)】
ヤッター!(^_^)╱
順調に育った花芽は、徐々に上に伸び、6輪の花を咲かせてくれました。
問題は、これからの季節。
春から秋にかけては、管理しやすいとのことで、だんだん寒くなるこれからが
問題 (家の中に暖かい場所ないし) です。
失敗は成功の何とか・・・・
とにかく、トライ、トライあるのみです。
最後に・・・
葉焼けさせちゃいました (失敗!)。
2013.09.16
シリーズ・ちょっと気になるデザイン~和傘と欄間
あれもこれも担当の千葉です。
敬老の日を含む今週末は、台風18号に、自然の脅威をまざまざと見せ付け
られました。
東日本では、小笠原から沖縄を経ずに北上する台風は要注意です。昭和33
年の狩野川台風しかり、昭和34年の伊勢湾台風しかり。今回の18号も、小笠
原南方にある時は995hPaと、勢力の弱い台風でしたが、愛知県東部に上陸
した時には970hPaと、大型の台風に勢力を増していました。
近畿・東海・北陸では、一日の降雨量が観測史上最高を記録した地点が多く、
初めて『特別警報』が発令されるなど、雨による被害が多かったようです。京都
は嵐山の渡月橋が冠水し、桂川が氾濫した映像は衝撃的でした。一方で関東
では、突風による被害が多く、台風18号は広範囲に爪痕を残して行きました。
被害に合われた地域の方々に心よりお見舞い申し上げますとともに、一日も
早い平穏な日常への復旧が叶うよう祈念申し上げます。
さて、半年ほども前の話ですが、高校を卒業した姪が金沢に行って来ました。
目的は和傘。
和傘職人も数少なくなっているようです。ネット検索でざっと見たところ、京都、
金沢、高山、岐阜、米子。京都でも一軒、金沢でもお1人しか残っておられない
とのことです。姪はこの金沢の最後の和傘の匠、松田弘翁を訪ねて、念願の
一本を手に入れて来ました。
鮮やかな色彩の蛇の目です。傘の部分には紅葉の葉が漉き込まれ、内側の骨
にも色鮮やかな糸で千鳥掛けが施されています。まさに竹と和紙、蝋、糸が織り
なす伝統の逸品だと思いました。
この金沢の伝統技能を見て、25年ほど前に妻と金沢を訪れた時のことを思い出
しました。
美術館で見た欄間の透かし彫りに感激し学芸員に尋ねたところ、まだお隣の富山
県に欄間や建具の彫刻を生業とする匠たちの町があると聞き、井波町(現、南砺
市)まで足を伸ばしてみました。一枚の板を、表と裏から違う意匠で彫り抜くその
技に痛く感激しました。
あれから25年ほど経った昨年、富山市に出掛けた折に人に尋ねてみたところ、
今では欄間などの建具の需要が減ってしまい、匠たちは高級な木彫人形を作っ
ていると聞き、残念に思いました。
私どもが建てる住宅にも、和室がめっきり減りました。暮らし方の欧風化が更に
進んでいます。我々日本人が求めなくなり需要が減ることで、供給側の伝統の
匠技が生き残る余地が減るという構図です。よく伝統工芸の担い手が途絶えて
しまうことを嘆くテレビ番組を目にすることがありますが、伝統工芸の担い手、即
ち供給側の原因で伝統工芸が衰退して行くことは実は稀で、多くは我々が求め
なくなるために、即ち需要がなくなるために担い手が途絶えてしまうのではない
でしょうか。
残念なことではありますが、こうした中で和風の伝統の匠技を受け継いでいくこと
は、私達の想像を遥かに超えて難しいのでしょう。
2013.09.12
相変わらず
花崎です
相変わらず、休日は鮎釣りに行っています。
きれいな鮎に会えて、一人でニヤリ。
引きのいい鮎と格闘して、鮎も自分もぐったり。
バラシてがっかり。
そんな楽しい日々も
もうすぐ終わりを迎えようとしています。
2013.09.09
徒然読書録③~さだまさし著『風に立つライオン』
あれもこれも担当の千葉です。
読書は好きで、常時本を持ち歩く癖が付いてしまいましたが、読み方は極めて大雑把、
何かしらからだのどこかに蓄積されていれば良いという思いで、雑然と読み流します。
その意味で、読者の皆様には退屈でご迷惑かとも恐縮しつつ、ブログに読書録なる
ものを記してみるのは自分にとって有益かも知れないと思い、始めて見ました。皆様
のご寛恕を請うところです。
徒然なるままに読み散らす本の中から気に入った本、今回はさだまさし著、
『風に立つライオン』(幻冬舎)を挙げてみます。
歌手さだまさしは、デュオ・グループのグレープ以来、学生時代の私にとっては特別
な存在でした。どちらかと言えば洋楽一辺倒のロック小僧にとって、さだまさしの声は
頼りなく潔くなく感じられ、あまり興味はなかったはずでした。ところが高校2年生の春、
学園祭の前夜祭の夜に突然に亡くなった同級生を弔い、その夏の高原教室で志賀の
丸池に灯篭を流し、その頃流行っていたグレープの『精霊流し』を皆で歌って以来、
その歌詞に強く惹かれるようになり、ソロ・デビュー以降の4枚くらいまではLPを買い、
それこそ針が擦り切れるくらい聴き込みました。
さだまさしは、説明を要さないほど、今や老若男女、日本人なら誰もが知ってる国民
的歌手の一人ですが、小説も何篇か書いており、かつての熱烈なファンとしては、
『精霊流し』、『解夏(げげ)』、『眉山(びざん)』、『茨の木』、『アントキノイノチ』、『かす
てぃら~僕と親父の一番長い日』と、その全てを読んで来ました。そしてこの7月に
刊行されたのが名曲と同名の『風に立つライオン』です。
この『風に立つライオン』は、1987年のアルバム『夢回帰線』のなかの曲。アフリカで
の僻地医療に青春を懸ける青年医師が、母国日本に残してきたかつての恋人に宛て
た手紙、という設定の歌詞の曲。さだ氏の歌詞は、ヒトにたいする暖かな慈愛に充ち、
ストーリー性が高く情景を目の前に思い描かせてしまう特性があります。間奏の賛美
歌『アメイジング・グレイス』がとても印象的な綺麗で素晴らしい作品です。
小説では更に幅が広がり、第一部では、幼い頃にシュバイツァーの伝記を読んで医
師を目指し、『ダクタリ・ジャポネ(日本人のお医者さん)』と敬意をもって呼ばれたこ
の青年医師『航一郎』のケニアでの奮闘ぶりが爽やかに描かれ、第二部では内戦
激しい南スーダン国境付近で出会ったケニア人の少年を心身ともに救い癒して行く
さまを描いています。そして第三部では、そのケニア人少年『コイチロ』が、航一郎
の意志を継いで医師となり、大震災直後の石巻で献身的な支援活動を行うさまが
描かれます。
(ケニアはアフリカ東海岸にある、旧イギリス植民地から独立した、英連邦に属する
共和国。首都はナイロビ。北はエチオピアと接している。南のタンザニア国境のす
ぐ向こう側に有名なキリマ・ンジャロ(現地語で白い山、という意味)がある。他は
かなり内戦の激しい紛争地域と国境を接しており、避難民の流入が激しく、その分
治安の維持にも苦慮しており、国境なき医師団などが多く出向いて貢献している
国でもある。西はかつて内戦の激しかったウガンダと接している。世界でも有数の
大きさの湖、ヴィクトリア湖もここにある。北東はソマリア。そして北西にこの小説
の舞台となったスーダン国境がある。ご存知南スーダンはこの度スーダンから独
立を勝ち得たが、宗教間(北はイスラム教、南はキリスト教)の対立や豊富な地下
資源を巡る紛争の終結は予断を許さないと言う。)
石巻では声を失った『あつお』が、あたかも『コイチロ』が辿ったと同じ道程で救われ
癒され、医師になりたいと志を立てる。『コイチロ』が『ドクター・ケニア』と呼ばれるよ
うになり、ヒトのために全てを擲ってでも尽くそうとする志のバトンがシュバイツァー
から『航一郎』へ、『航一郎』から『コイチロ』へ、そして『あつお』へとリレーされて行
きます。
激しい風に向かって立つ、群れを離れた孤高のライオン。辛さも悲しみも全て身の
内に仕舞い込む潔さ。『風に立つライオン』とはこのバトン・リレーされて行く崇高な
志の象徴だったのですね。
さだ氏の小説では『解夏』が最も好きですが、この『風に立つライオン』はさだ作品
の中では最も社会性が強く、その分細やかな内面への掘り下げが十分になし得な
かったかな、と少し残念でもありました。
歌詞『風に立つライオン』の言葉が小説にもあちらこちらに散りばめられており、小説
の奥行きを拡げています。ただ一点、歌詞の言葉とそぐわない部分があります。
歌詞には、『何より僕の患者たちの瞳の美しさ この偉大な自然の中で病と向かい合
えば 神様についてヒトについて考えるものですね やはり僕たちの国は残念だけれ
ど 何か大切な処で 道を間違えたようですね』とありますが、東北の大震災後の人
々の懸命で思い遣りのある言動を見て、日本に対する『失望』が、『希望』や『礼賛』
に変わったのではないかと感じました。その意味で、歌詞よりも小説の方が好きにな
りました。
最後に小説の中から幾つか引用を列記して終わります。
・「こんにちは」僕はいつも航一郎がしたように、子ども達の輪の中にしゃがみ込ん
でできるだけ丁寧にそういいました。「こんにちは」「こんにちは」子ども達は一斉に
立ち上がってお辞儀をします。ジャポネは子ども達までもみな、秩序を守って、礼
儀正しい。航一郎、あなたの自慢は本当でした。
(プロローグにあるこの文章で、最初から涙が出てしまいました)
・いいか、患者というものがいかに卑屈な思いで“お医者様”を見上げているのか、
その視線の哀しさを理解しろ
いいかい、患者や患者の家族はお前という人格に対して頭を下げているのでは
ないのだ、お医者という幻想に対して平伏しているのだ。
俺はなあ、お医者は聖職者だと信じているんだよ。
・涸れちゃ駄目だってあいつ、必死に自分と闘ってたんだろうなぁ。・・・大きな水源
がなければ大きな滝なんて生まれないってこと。人も同じだ、って航一郎は言っ
てたんだな。ずっと凄い滝でいるには自ら巨大な水源であれ、ってこと。確かに
僕らはね、自分の心の水源が涸れることで自分という滝を失うんだろうな。
・あなたの冷たいまなざしは、大人達の心の、最も後ろめたい部分に突きつけら
れた“真実の刃”だったと思います。・・・・子どもといえども、人にはそれだけの
力があることを信じてください。そしてそれに応えようとする大人がどこかにきっ
といることも。
・自分たちがして貰った嬉しいことは人にしてあげるってのがワカコの“教育”だよ。
そのかわり自分がされて嫌なことは人にしないって。“自由”ってのはそういう約
束がないと、“利己主義”になるらしい。・・・・それにしても世界中で日本人だけじ
ゃねえのかい?「人に迷惑をかけるな」なんて教えてるのは。いや、バカにして
るんっじゃないよ。尊敬して言ってる。
・「お願いだから、しあわせになってください」 余計なことは何ひとつ書いてありま
せん。たった一行の手紙でした。私の苦しみも私の領分も、彼自身の苦しみも、
彼自身の領分も何もかも呑み込んでそう書いてくれたのでしょう。 そういう人で
した。 「お願いだから」 この一言に為すすべのない私達の思いが重なっていた
のだと思います。
(ここも、歌詞とは異なります。歌詞はその全てが『手紙』ですが、小説の中では
たったの一行です。これで通じてしまうお互いへの信頼と敬意、感動です。)
・僕達が一番救い出したいのは“思い出”なのです。にもかかわらず、そのことが
一番難しく、危険な作業です。
・元来、人が快適に共存するには全員が“自由勝手気まま”なんて在り得ないん
だよ。フリーダムに“自由”ではなく“自助”と訳すべきだったな。自分が人にされ
て嫌なことは絶対人にしない、ってことが“自由”の条件さ。同じ現場にいる誰も
が、ほんの少しずつ我慢することで秩序ってものが生まれるんだ。
・被災者が暮らしているのではなく、人間が生活している。 この言葉は重いで
す。 他の町の人々は常に“可哀想な被災者”という視点でものを言います。
被災者が被災者らしくないことを言ったりしたりすると、なぜかがっかりする傾
向があります。それは施す者が施される者を見下す視線のような気がします。
そして施す者は常に感謝の言葉だけを求めるのです。
・なぜなら僕は医師です。 「医師」とは「人間」が自らの命を懸けて、病と闘うと
きの呼び名なのですから。闘わない医師は医師ではありません。
・「医師が患者から奪ってはいけない最も大切なものはな、命じゃないんだよ。
希望なんだ」って。「だってよ。命はその人の身体の持ち物だけど、希望は心
の持ち物だろ?人はよ、身体だけで生きてるんじゃねえだろ?心で生きてるん
だからさ」って。
2013.09.09
自宅建替え《解体偏》
設計グループの川口です。
3年ほど前から計画しておりました、自宅の建替え工事が始まります。
38年間お世話になった家の解体工事が先日終わりました。
子供が解体前にこんなことを柱に
書いていたのを見付けて、ちょっと
ホロッとしてしまいました。
家族の中に三毛ネコが居るのですが、仮住まいには
連れて行けないのでかわいそうですが
お留守番です。
一人寂しく犬小屋ならぬネコ小屋で暮らしています。
普段から半分野良ネコのような暮らしをしていたので、
大丈夫でしょう。(ちょっと心配)
跡形もなくなってしまいました。
寂しい。
今後自宅の建替えについて書いていきたいと思います。
2013.09.04
世界文化遺産のお恵み
時代遅れの堤です。 弊社は創業55周年を迎えております。
私は今週末で半世紀を越え会社より2歳若い誕生日を迎えます。
という今年、我が国の象徴でもあり我が県のシンボルでもある「富士山」が世界文化遺産に
登録されました。
先日のことです。弊社のお客様でもある三島市のお菓子の老舗「兎月園」様に
立ち寄る機会があり、お菓子を購入した時のことです。いつもどうり、お会計を済ませると
気さくな女将さんが「景気はどう?」とお声がけしてくれましてしばらくお話しすると、
帰りしなに「これ今、売れているのよね!」と写真の「富士山マコロン」を頂戴いたしました。
女将さん!いつもオマケをいただきまして誠にありがとうございます!
富士山をモチーフしたこのかわいらしいお菓子はとっても美味しいですよ!
たくさん売れると良いですね!ここでも富士山に感謝!感謝!
是非!ご賞味あれ!
2013.09.03
家庭菜園Ⅱ
営業部の大川です。
5月に載せました、家庭菜園の続きを書きます。
野菜類は8月で終わりにしましたが、初めて咲いた柿の花が強い風で飛んでしまったと思ってい
たところ、一個だけ実をつけていました。
後は、おいしく食べれるまで育つよう台風に注意をしていきます。
2013.09.02
ホームカミング・デイ~大学卒業30年の集まり
あれもこれも担当の千葉です。
いささか前のことになってしまいましたが、昨年の10月のとある週末に、
大学のホームカミング・デイに参加して来ました。
これは11月初旬に掲載された大学別の卒業生の満足度ランキングに
ついての新聞記事です。
少子化から大学の経営も環境が厳しくなって行きます。卒業生に大学の
現状を伝え、大学との協働のチャンスを拡げ、大学への支援の輪を広げ
ようと卒業生向けの機関誌を送ってきたり、卒業生を大学に足を運ばせる
ような企画をしたり。大学もかなり経営に本腰を入れてきているのかな、と
最近感じています。
『ホームカミング・デイ』は、卒業20年、30年経った卒業生を大学に招く
イベントです。キャンパスの色々な学部で、記念講演やシンポジウムが
組まれています。卒業30年ともなると、当時の恩師の登場は望み難い
ですが、逆に同級生の記念講演があったりと、如何にもアカデミックな
中にも面白い工夫が見られました。懇親会では体育会の同期や図書館
仲間にも会え、旧交を温めることもできました。
キャンパスには学生当時には無かった建物が10棟近く建っていました。
古い重厚なデザインの建物が多いキャンパスに建つ新しい建物のデザ
インには二通り。一つは周囲の建物との調和を考えて、新しい構造・工法・
建材を駆使しつつも従来のデザインをそこかしこに取り入れアレンジして
いるもの。もう一つは全く新しいデザインを目指したもの。後者の中には
従来の素敵な建物の背後に無機質なデザインが聳え立ち無粋な絵柄に
なってしまった残念なものもありました。しかし新しいデザインの中でも、
周囲の条件を良く考慮しながら、素晴らしい新たな息吹を吹き込んでいる
ものもありました。その最たるものがこの写真。とても気に入りました。
ベネッセ(旧、福武書店)の会長CEOである福武総一郎氏の寄付により
建てられた『福武ホール』。設計は安藤忠雄氏。夏と冬の陽光の入射角の
差を考えたであろう長い庇は、100メートルの『考える壁』(上の写真の右
側の壁)と相まって、広く快適な空間を生み出していました。
晩にはクラスの数名で食事会。会場へ向かう時に降りた地下鉄の白金台
の駅での一枚。前を行く老婦人の素敵な着物姿。隠し撮りと勘違いされな
いよう歩きながら慌てて撮影したために手振れでわかり難いのですが、
総絞りの見事な着物に、粋な柄の帯。とてもカッコ良かったです。
アペタイザー・プレートの一番左をご覧下さい。なんと僅か直径2センチ弱の
チーズ・バーガー!本当にバン、チーズ、パテ、レタスで出来ており、食べる
と確かにチーズ・バーガーの味がしました。あとは美味しい食事と、互いの近
況や学生当時の思い出話に花が咲き、例によって写真を撮るのをすっかり
忘れて夜が更けてしまいました。
帰りには我家の定番、千疋屋のホール・マンゴー・プリンに加えて、大学
近くの和菓子屋『三原堂』の上生菓子。
学生の頃は、下宿屋のおばあちゃんとお茶飲み話をするために、よく二つ
だけ買って帰ったものでした。おばあちゃんが湯飲みを両手で包み込み
ながら毎回してくれた東京大空襲のお話を懐かしく思い出しました。
この日は求肥と道明寺を老父母と一緒に戴きました。
2013.08.29
夏の終わりのお客様
猛暑が続く毎日ですが、朝晩は大分すごしやすくなってきましたね。
法人部の内田文です。
自称、動物の話題担当と決めているのですが、またしても、我が家に動物がきました。
彼らは、お招きもしていないのに、突然やってきました。
いえ、ずいぶん長い間、我が家の家族に知られることもなく、その場に住んでいたのです。
日曜日に庭の掃除をしていたのです。
玄関の横の庭木が大分うっそうとしてしまい、蔓もからんでいたので、その蔓を思い切り引っ張ると、ブーン… ブーン… …
勢いよく飛び出してきたのは、
そこそこ大きなハチたちです。
あわてて家の中に飛び込みましたが、あいにくハチ用の殺虫剤がない…。
しばらく2階の窓から様子をうかがっていたのですが、
その木の周りをたくさんのハチたちがぶんぶんと飛び回っています。
その木は玄関のすぐ横でしたので、裏口からこっそり家を出て、薬局に殺虫剤を買いに…。
戻ってきてすぐに殺虫剤をまきました。
遠くに逃げた者もいたので、数分して、巣にもどった蜂にもまたかけました。
殺虫剤、よく効きました。
まさかスズメバチ? と思ったのですが、よくよく見るとちょっと違う様子。
落ち着いてから、うっそうと茂った木の間を覗いてみると、15センチくらいの大きなハチの巣。
枝ごと折ってみると、アシナガハチの巣のようでした。
すでに8割位空になった巣でした。
スズメバチの巣でなくてよかった~。
ほっとして、巣を片付けました。
でも、よく考えると、人に危害を加えるわけでもなく、今までそこで生活していたのですから、
ちょっと気の毒でしたね。
盛夏のなごりです。
庭には赤トンボが数十匹飛び回るようになりました。
まだまだと思っていた秋が、実はすぐそこまで来ているのですね。
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ACCESS
緑の中を悠々と歩いている鹿。
ここはどこでしょう?
動物園?
答えは伊豆市内のとあるゴルフ場でした。
最近、全国的な傾向かもしれませんが、伊豆でも鹿が人が住む場所に当たり前のように現れるようになりました。
ゴルフ場でも、近頃はいつもこのような状況に遭遇します。
写真では2頭ですが、右の方に小鹿がもう1匹いました。
近くで見るとちょっとかわいいのですが・・・
クラブハウスでの昼食のメニューに『イズシカ丼』なるものがありました。
さすがに『採りたて新鮮な・・・』とはメニューに書いてはありませんでしたが、このような可愛らしい姿を見てしまうと、ちょっと食べる気が・・・。
今、伊豆市では街を挙げて『イズシカ』を売り込んでいます。
確かに増えすぎて人里に出てきては畑を荒らしていく鹿は、害獣でしかないのかもしれません。
とはいえ、これも自然と人間生活のバランスが崩れたことも、ひとつの要因だと思います。
ちなみに、『イズシカ丼』と呼ばれるには条件があるそうです。
①伊豆市食肉加工センター「イズシカ問屋」で加工された安全・安心なイズシカを使用していること
②椎茸・ワサビなどの地元食材を使用していること
③シカの角を模した食材を添えること
この3つを満たすことが必要だそうです。
せっかくなので、皆さんもおいしく頂いてみてはいかがでしょうか?
(結構おいしいですよ)