2021.04.09
シリーズ・徒然読書録~『晴れ、時々クラゲを呼ぶ』『全部許せたらいいのに』
あれもこれも担当の千葉です。

 

 

読書は好きで、常時本を持ち歩く癖が付いてしまいましたが、読み方は極めて大雑把、何かしら記憶のどこか、心の片隅にでも蓄積されていれば良いという思いで雑然と読み流しています。暫くするとその内容どころか読んだことさえ忘れてしまうことも。その意味で、読者の皆様には退屈でご迷惑かとも恐縮しつつ、ブログに読書録なるものを記してみるのは自分にとって有益かも知れないと思い、始めてみました。皆様のご寛恕を請うところです。

 

徒然なるままに読み散らす本の中から今回取り上げるのは、2冊。どちらも若い作家、或いは若者向けに文章を書いてきた作家で、昨年後半に図書館の新刊本コーナーで見かけて手に取ったものです。

 

 



まず最初は、鯨井あめ著『晴れ、時々くらげを呼ぶ』(講談社刊)。南米ウユニ塩湖のような表紙の素敵な写真と強いインパクトの題名で手に取った作品。いわゆる『ジャケ買い』ならぬ『ジャケ借り』です。読み出した時に感じた、『高校生が書いた高校生向けの小説』という印象は最後まで変わりませんでしたが、優しい気持ちを大切にしたファンタジーで、読後感はとてもほのぼのとしたものでした。

 

小説を3作だけ残して死んだ自分勝手な父親に対する反発から、知らぬ間にひとに対して無関心で自分勝手になっていた主人公の越前亨。図書委員の後輩で、世の中の理不尽さに対抗するために理不尽な手段で世界中に迷惑を掛けるテロとして、空からクラゲを降らせようという奇妙なことを祈りを続けるヒロインの小崎優子。

友人のために必死に世間と関わろうとする優子の姿に、優しさを失っていた自分に気付く亨。優子に代わってクラゲを呼ぶために祈り、同級生の悩み事に積極的に関わろうとし、反発していた父親の小説を読むことになる。

ずっと反発していた父親の作品はクラゲを呼ぶ女の子の話。自分が父親にとても愛され自分も父親が大好きだったことを思い出し、縛られていた父親の言葉から解放され、父親と和解できる。そして確信する。クラゲを呼べると信じた者だけがクラゲを呼べると。

 

幾つか心に留まった文章を抜粋します。

『なるほど、は、わかっていない人の使う言葉だ。』

『高校生は分別がつく年齢だね。・・・きっと複雑な理由があるんだよ。・・・悶々と悩んでぐるぐる回って涙が出て、ひとりで苦しんでしまう。世界中でひとりぼっちになってしまう。その子もきっとひとりなんだよ。ひとりは凍えそうで息苦しくて、最も近くにいる、気軽にやってくる地獄なんだ。』

『越前君はさ、無関心で自分勝手だよね。謝りたくなったから謝るけど、そこに相手の感情はないじゃん。・・・無関心であることは、人に優しくできないということだ。自分勝手であることは、感情の矛先を間違えるということだ。優しさの本質は他社への興味だ』

 

父親の作品の中の言葉が胸に迫る。『世界は理不尽であり続ける。だから、少しだけ優しくするんだよ。』

 

 



そして2冊目が、一木けい著『全部許せたらいいのに』(新潮社刊)。これも図書館の新刊本の棚から目に飛び込んで来ました。

 

アル中の父親にとても不安で辛い思いをして来たヒロインの千映は、決して自分の娘に同じような思いをさせないような同級生の宇太郎と結婚したはずだった。が、その宇太郎がこともあろうに幼い娘・恵の育児の過程でストレスを溜め、アル中になってしまう。

アル中の父親との凄まじいまでのバトル。父親の死を機に気付く多くのこと。酷い父を丸ごと受け入れた母親の愛情。無条件の愛情と条件付きの愛情。アル中から抜け出そうと改心した宇太郎との新しい生活。

 

先頭の章、子育て中の千映と宇太郎との葛藤の部分が文章としては最も緊張感があり、それに続く章たち、すなわち千映の子供時代、父親との葛藤など中・後半の文章は少し冗長で迫力に劣りますが、最後の父親の死に臨む場面は再び緊張感が高まり、静かで感動的なハッピー・エンドとなっています。

 

こちらも心に留まった文章を抜き書きして終わります。

『あ、この目。くさったイワシのような赤い目。話しても無駄な人間の目だ。』

『へとへとで腹が立って淋しくて宇太郎は飲む。するとわたしは淋しくて腹が立ってへとへとになってしまう。逃げたいときもあると、宇太郎は言った。わたしにだってある。でもわたしには逃げ場がない。』

『ゆるすと諦めるって、どう違うんだろう。』

『わたしだって条件付きの愛なんじゃないか。父を丸ごと愛したのは母ひとりかも知れない。』

『父とどう接していたらよかったのだろう。どうしていたら、父は、わたしたち家族は、こんな風にならずに済んだのだろう。・・・制御できない強さで、肚の底から悲しみが突き上げてきた。込み上げてきた言葉は、ごめんね、だった。お父さんごめんね。』

『目の前にいる人を曇りのない目で信じることができたら、どんなに楽だろう。どんなに生きやすいだろう。信じるという感情は自分自身にはどうしようもなく、コントロールなど到底できなかった。信じられるのは、宇太郎の行動だけだった。疑うのは疲れる。疑わなくなってはじめてそのことがわかった。』

『(前を行く恵を見守りながら)手放すことと、愛することは矛盾しない。』