2021.01.22
シリーズ・徒然読書録〜宇佐見りん著『かか』
あれもこれも担当の千葉です。

 

読書は好きで、常時本を持ち歩く癖が付いてしまいましたが、読み方は極めて大雑把、何かしら記憶のどこか、心の片隅にでも蓄積されていれば良いという思いで雑然と読み流しています。暫くするとその内容どころか読んだことさえ忘れてしまうことも。その意味で、読者の皆様には退屈でご迷惑かとも恐縮しつつ、ブログに読書録なるものを記してみるのは自分にとって有益かも知れないと思い、始めてみました。皆様のご寛恕を請うところです。

 

徒然なるままに読み散らす本の中から今回取り上げるのは、宇佐見りん著『かか』(河出書房新社刊)です。沼津生まれ(小さい頃に神奈川県に引っ越されたそうです)の期待の新星登場!との声を聞いて図書館で借り受けました。ふた月ほどの予約待ちを経てちょうど読み終わった時に、2作目の『推し、燃ゆ』が今年前半の芥川賞受賞というニュースが舞い込み、驚きました。

 



 

著者のデビュー作である本作は、三島由紀夫賞、文藝賞をダブル受賞、続く2作目で芥川賞受賞、しかも若干21歳というのは何とも素晴らしく、将来が楽しみです。

 

さてデビュー作『かか』。裏表紙にはこのように書かれています。

『19歳の浪人生うーちゃんは、大好きな母親=かかのことで切実に悩んでいる。かかは離婚を機に徐々に心を病み、酒を飲んじゃ暴れることを繰り返すようになった。鍵をかけた小さなSNSの空間だけが、うーちゃんの心をなぐさめる。脆い母、身勝手な父、女性に生まれたこと、血縁で繋がる家族という単位・・・自分を縛るすべてが恨めしく、縛られる自分が何より歯がゆいうーちゃん。彼女はある無謀な祈りを抱え、熊野へと旅立つ・・・。未開の感性が生み出す、勢いと魅力溢れる語り。痛切な愛と自立を描き切った、20歳のデビュー小説』

正しくこの小説の魅力は、主人公のうーちゃん(うさぎ)の感性(従って著者の感性とも言い換えられますね)と語り口・文体に尽きると思います。時に語り手(うーちゃん)の主語が省かれ、似非関西弁・似非九州弁・幼児語がない交ぜになった不思議でリズム感のある架空の方言によって、弟の『おまい』に語り掛けるという体裁を採っています。

 



 

湯船に漂う従姉妹の初潮の血を金魚と思って救って見せようとした描写で始まるという不思議な感性が、女という性の得体のなさを象徴して見せた上で、冒頭からこの小説世界になんとも独特な雰囲気を与えることに成功しています。

 

幾つか感銘を受けた文章を並べてみます。その独特な文体・語り口をお楽しみ下さい。

 

『風のくらく鳴きすさぶ山に夕日がずぶずぶ落ちてゆき、川面は炎の粉を散らしたように焼けかがやいていました。夕子ちゃんを焼いた煙は、柔こい布をほどして空に溶けてゆくように思われます・・・夏の風が山の頂上から川の対岸に茂った丈の高い草までをゆらして、最後にむわりとした草いきれを残して失速する、そのうるさいような匂い』

『(うーちゃんは赤ん坊が嫌い)その丸い目にはひれ伏すしかなかったんよ、あかぼうのひとみはかみさまに守られた憎らしいひとみなんよ。信仰を持ったひとみほど強いものなどないんです、たとえうーちゃんにはかたわらの女がただの女に見えたとしても、あかぼうのひとみにはたしかにかみさまのようにうつっていて、エイリアンみたいに真っ黒に濡れたそれは人間を断罪する力を持っている。』

『かかは、自分の中の感情をさぐって眉間のあたりに丁寧に集めて、泣くんです。涙より先に声が泣いて、その泣き声を聞いた耳が反応してもらい泣きする、かかは毎回そういう泣き方をしました・・・かかは、ととの浮気したときんことをなんども繰り返し自分の中でなぞるうちに深い溝にしてしまい、何を考えていてもそこにたどり着くようになっていました。おそらく誰にでもあるでしょう。つけられた傷を何度も自分でなぞることでより深く傷つけてしまい、自分ではもうどうにものがれ難い溝をつくってしまうということが、そいしてその溝に針を落としてひきずりだされる一つの音楽を繰り返し聴いては自分のために泣いているということが。』

『うーちゃんはにくいのです。ととみたいな男も、そいを受け入れてしまう女も。あかぼうもにくいんです。そいして自分がにくいんでした。自分が女であり、孕まされて産むことを決めつけられれこの得体の知れん性別であることが、いっとう、がまんならんかった。男のことで一喜一憂したり泣き叫んだりするような女にはなりたない、誰かのお嫁にも、かかにもなりたない。女に生まれついたこのくやしさが、かなしみが、おまいにはわからんのよ。』

 

うーちゃんからこう言われる『おまい』こと弟のみっくんに同情してしまいます。男というのは古来このように糾弾される性であることは避けられぬ事実です。

 

『不幸を信じる目、さいわいを信じる目、何でもいい、とかく心からの信仰をもつ目をうーちゃんは羨み僻んでいるんでしょう。うーちゃんのかかに対する信仰は消えていく一方でした・・・なんでこうまでして苦しめられんのにあかぼうつくるまえに離れなかったんだろう、なんでこのひとは、しにたいしにたいと言いながらしないんだろうとうらみました。彼女がしぬとわめくたびにうーちゃんにもその気持ちはうつります。もう、つらくて。ずうっとがまんしてた、つらいよお、うーちゃんの肌のしたに詰まった肉が叫ぶんです。しにたいよお。』

『押し入った空気吐き出せんくて破裂しそうになった胸抱えて、うーちゃんは立ち上がりました。いとしさは抱いたぶんだけ憎らしさに変わるかん、かあいそうに思ってはいけん。』

 

うーちゃんのかかは、祖母からは伯母の遊び相手としておまけに生まれたと言われ続け、伯母が祖母の愛情を独り占めするので愛情欲しさにととと結婚しますが、DVと浮気で出ていかれてしまう。伯母は早くに死ぬことで祖母の愛情を永遠に繋ぎ止め、忘れ形見の従姉妹を溺愛し、惚けていく中で祖母はかかのことを忘れてゆく。そんなかかは娘であるうーちゃんに甘え、うーちゃんは学校にも行けなくなり浪人する。でも誰よりもかかを愛している。その一方で、かかを遠ざけ施設にでも入れて心の中で殺してしまいかねない。そう思うとうーちゃんは、自分がかかを産んで、一から育てなおしてやりたいと願うようになります。

 

『かかをととと結ばせたのはうーちゃんなのだと唐突に思いました。うまれるということは、ひとりの血に濡れた女の股からうまれおちるということは、ひとりの処女を傷つけるということなのでした。かかを後戻りできんくさしたのは、ととでも、いるかどうかも知らんととより前の男たちでもなくて、ほんとうは自分なのだ。かかをおかしくしたのは、そのいっとうはじめにうまれた娘であるうーちゃんだったのです。』

『すべてのばちあたりな行為はいっとう深い信心の裏返しです。・・・そういうことをわざとやってみることは、そのばちあたりな反抗は、何か理解を超えた力があるという前提に立ってこそ存在しうるんです・・・ばちあたりな行動はかみさまを信じたうえでちらちらと顔色をうかがうあかぼうの行為なんでした。そいしてばちがあたったとき、その存在にふるえながらようやく人間たちは安心することができるんです。自分のことを本当に理解する誰かと繋がっているという安心感に、身をまかしることができるのんよ。』

『自分がはっきょうしたのか手っ取り早く知りたかったら、満員電車にすわってみれ。ほかの席が満ぱんのぎゅうぎゅうまんじゅうなのにお隣がぽっかしあいていたとしたら、それがおまいのくるったしるしです。おまいがいないとき、かかには両隣を埋める人間はいないかん、うーちゃんは必ずかかを端っこに座らせて自分がしっかと詰めて隣に座ります。ずっとそうやっってきたんです。隣があいたらかかが傷つくかん、・・・そいでも、そんな生活ともさいならです。うーちゃんを産むことでよごれてしまったかあいそうなかかはもうすぐこの俗世から解放されるんでした。ようやくすくわれるんでした。』

 

古典的ともいえるテーマを、独特の文体で描き出した力量は素晴らしいの一語です。図書館で予約した2作目(なんと順位60番め!)の芥川賞受賞作を読むのが今から楽しみです。