2021.07.13
シリーズ・徒然読書録~宇佐見りん著『推し、燃ゆ』
あれもこれも担当の千葉です。

 

読書は好きで、常時本を持ち歩く癖が付いてしまいましたが、読み方は極めて大雑把、何かしら記憶のどこか、心の片隅にでも蓄積されていれば良いという思いで雑然と読み流しています。暫くするとその内容どころか読んだことさえ忘れてしまうことも。その意味で、読者の皆様には退屈でご迷惑かとも恐縮しつつ、ブログに読書録なるものを記してみるのは自分にとって有益かも知れないと思い、始めてみました。皆様のご寛恕を請うところです。

 



 



 

徒然なるままに読み散らす本の中から今回取り上げるのは、宇佐見りん著『推し、燃ゆ』(河出書房新社刊)、2020年下半期の芥川賞受賞作です。前作、『かか』が文藝賞、三島由紀夫賞を受賞、沼津市生まれの若干二十歳の新星ということで、ここ静岡県東部では今回の芥川賞受賞より前から書店でも平積みの扱いを受けていました。粗削りであっても、とても抗えないほどの圧倒的な言葉の大波が読者を根こそぎ運び去ってしまった前作に比べると、今回の受賞作はその圧倒的な迫力と引き換えに洗練さを獲得しているように感じます。その意味で新しい才能への驚愕度は少し後退した感があります。

 

 



https://www.szki.co.jp/suzunone/suzunone-9757/

(拙読書録をご笑覧下さい。)

 

高校生のあかりは、子役からアイドルグループの中心メンバーとなった上野真幸を『推し』てきた(ファンとして応援してきた)。

『あたしは触れ合いたいとは思わなかった。現場(千葉註:コンサートやサイン会、ファンの集いなど)も行くけどどちらかと言えば有象無象のファンでありたい。拍手の一部となり歓声の一部になり、匿名の書き込みでありがとうって言いたい。』

 

それは、大人になれない、なりたくない自分の境遇を、子役時代から芸能界で期待され求められて来た『推し』の同様な境遇に重ねて来たからであった。

『寝起きするだけでシーツに皺が寄るように、生きているだけで皺寄せがくる。誰かとしゃべるために顔の肉を持ち上げ、垢が出るから風呂に入り、伸びるから詰めを切る。最低限を成し遂げるために力を振り絞っても足りたことはなかった。いつも、最低限に達する前に意思と肉体が途切れる。』

『ピーターパンは劇中何度も、大人になんかなりたくない、と言う。・・・あたしのための言葉だと思った。・・・重さを背負って大人になることを、つらいと思ってもいいのだと、誰かに強く言われている気がする。同じものを抱える誰かの人影が、彼の小さな体を介して立ちのぼる。あたしは彼と繋がり、彼の向こうにいる、少ない数の人間と繋がっていた。』

 

その『推し』がファンを殴りSNSは炎上。やがて突然のグループ解散、芸能界引退、結婚の噂。自分を置いて、大人になってしまった『推し』。

『推しが語るように歌い始めたとき、あの男の子が、成長して大人になったのだと思った。もうずっと前から大人になっていたのにようやく理解が追いついた。大人になんかなりたくない、と叫び散らしていた彼が、何かを愛おしむように、柔らかく指を使い、それは次第に、激しくなる。』

『今までに感じたことのない黒々とした寒さがあたしの内側から全身に鳴り響く。終わるのだ、と思う。こんなにもかわいくて凄まじくて愛おしいのに、終わる。・・・やめてくれ、あたしから背骨を、奪わないでくれ。・・・推しを推さないあたしはあたしじゃなかった。推しのいない人生は余生だった。』

『骨も肉も、すべてがあたしだった。・・・這いつくばりながら、これがあたしの生きる姿勢だと思う。二足歩行は向いてなかったみたいだし、当分はこれで生きようと思った。体は重かった。』

 

ピーターパン以来の古典的なテーマを、『推し』という現代的な書割で取り扱った点がこの小説の妙味かな、と思いました。

 

最後に印象に残った文章・表現を列挙して終わります。

 

『病院の受診を勧められ、ふたつほど診断名がついた。・・・肉体の重さについた名前はあたしを一度は楽にしたけど、さらにそこにもたれ、ぶら下がるようになった自分を感じてもいた。推しを推すときだけあたしは重さから逃れられる。』

 

『長いこと切っていない足の爪にかさついた疲労が引っ掛かる。』

 

『姉は理屈でなく、ほとんど肉体でしゃべり、泣き、怒った。母は、怒るというより、断じる。判定を下す。それにいち早く気づいた姉が、とりなそうとして勝手に消耗する。』

 

『あたしは徐々に、自分の肉体をわざと追い詰め剥ぎ取ることに躍起になっている自分、きつさを追い求めている自分を感じ始めた。体力やお金や時間、自分の持つものを切り捨てて何かに打ち込む。そのことが、自分を浄化するような気がすることがある。つらさと引き換えに何かに注ぎ込み続けるうち、そこに自分の存在価値があるという気がしてくる。』

 

『ため息は埃のように居間に降りつもり、すすり泣きは床板の隙間や箪笥の木目に染み入った。家というものは、乱暴に引かれた椅子や扉の音が堆積し、歯軋りや小言が漏れ落ち続けることで、誇りがたまり黴が生えて、少しずつ古びていくものなのかもしれない。』

 

『骨も肉も、すべてがあたしだった。・・・這いつくばりながら、これがあたしの生きる姿勢だと思う。二足歩行は向いていなかったみたいだし、当分はこれで生きようと思った。体は重かった。』