2013.04.30
徒然読書録①~『武士道』新渡戸稲造著(矢内原忠雄訳)
あれもこれも担当の千葉です。

 

読書は好きな方で、常時本を持ち歩く癖が付いてしまいましたが、読み方は

極めて大雑把、何かしらからだのどこかに蓄積されていれば良いという思い

で、雑然と読み流します。

その意味で、読者の皆様には退屈でご迷惑かとも恐縮しつつ、ブログに読書

録なるものを記してみるのは自分にとって有益かも知れないと思い、始めて

みました。皆様のご寛恕を請うところです。

 

圧倒的に純文学系の小説を読むことが多いのですが、先日読了したのは新渡戸

稲造著(矢内原忠雄訳)の『武士道』(岩波文庫)。



実はその前に新聞の広告で見て新渡戸稲造氏の『修養』と『武士道』の現代平

易語による抜粋本を読み、本屋に立ち寄った際に、矢内原忠雄氏の名訳本を

購入したものです。原書は英文で書かれ(原題:Bushido, The Soul of

Japan)、明治32年・1899年に発刊されました。それまで欧米で日本や日本

文化について書かれた優れた著作がなく、封建制の遺物と誤解されることの

多かった日本の精神文化を正当に紹介せんと著したようです。このお陰で、

随分と欧米の知識人の日本観・日本人観が改善されたのでしょう。訳者の

矢内原元東大総長の序言に寄れば、T.ルーズベルト大統領がこの書を読

み、友人に配ったといいます。

(ついでに武士道関係で同じ岩波文庫で『葉隠』も買いました。)

 

少し前の五千円札の肖像ともなった新渡戸稲造氏は、札幌農学校(現、北海道

大学)での教職や第1次大戦後の国際連盟の初代事務次長を勤められた高潔

な方です。俗説ではありますが、ケネディ大統領が最も尊敬する為政者として

米沢藩主・上杉鷹山を挙げたと言われますが、そうだとするとこの新渡戸稲造

氏の著作『武士道』が契機となっていたのではないかと楽しい憶測をしてしまい

ます。

 

氏は、武士道の淵源を、仏教・神道・孔孟儒教にあるとし、武士と言う社会的階

級身分に伴う義務(Noblesse Oblige)として培われて来たと言います。

『武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である。(中略)

封建制度の子たる武士道の光はその母たる制度の死にし後にも生き残って、

今なお我々の道徳の道を照らしている。』

 

日本に固有というものの、氏の論述は古今東西の文化・著述との比較をしており、

仏教・儒教以外にも、意外とキリスト教や騎士道との共通点も多いと感じました。

『ニィチェが「汝の敵を誇りとすべし、しからば敵の成功はまた汝の成功なり」と言

えるは、よく武士の心情を語れるものである。実に勇と名誉とは等しく、平時におい

て友たるに値する者のみを、戦時における敵としてもつべきことを要求する。勇が

この高さに達した時、それは仁に近づく。』

 

昨今、領土問題を巡って隣国の中国や韓国との『異質論』が高まっているように

思えて心配でなりません。愛国心なくして国家は維持し得ませんが、行き過ぎて

不必要にナショナリズムを煽ることは、決して双方の国益に叶うとは思えません。

 

また、武士道が成文法としてではなく、社会・組織・家族・コミュニティの規範として

不文律的に生成発展してきたとの論述を読むにつけ、現代社会での道徳・公衆道

徳のありように思いを向けざるを得ませんでした。

 

教育改革を求める政治家・議員自らが、社会や子供達に範たる言動に努めること

を意識しているか。マスコミは視聴率や購読数(ひいては利益)のためにおもしろ

おかしさを囃し立て、反道徳教育の先頭に立っていることはないか。企業は利益

や存続のためと言って、判っていながら法を犯し或いは公共に害をなすことはな

いか。大人は『必要悪』といって安易な言い訳に終始していることはないか。

 

学校教育での『道徳』も大切だとは思いますが、社会において、地域において、

組織において、家庭において、我々大人自らがお互いや子供達に良き教育を

して行かねばならないと感じました。

 



(こちらは新聞広告で求めた抜粋版)